2000年の
日本ダービーを制した
アグネスフライトが11日、老衰のために死亡。26歳だった。
JRAが同日、ホームページで発表した。
アグネスフライトは
父サンデーサイレンス、
母アグネスフローラ、母の
父ロイヤルスキーという血統。
母アグネスフローラは1990年に
桜花賞を制し、同年の
最優秀3歳牝馬に輝いた。1つ下の全弟は無傷4連勝で2001年の
皐月賞を制した
アグネスタキオン。
2000年に京都競馬場での新馬戦でデビューし初陣を飾ると、4戦目で初の重賞となる
京都新聞杯に挑戦し2着の
マルカミラーに3馬身差をつけて重賞ウイナーの仲間入りをした。
その後、初のGIとなった
日本ダービーでは
武豊騎手鞍上の
エアシャカールをゴール前で差し切ってGIのタイトルを掴んだ。またこの勝利は二代
母アグネスレディー(1979年
オークス)、
母アグネスフローラ(1990年
桜花賞)に続いて日本競馬史上初の親子三世代クラシック制覇だった。さらに手綱を執った
河内洋騎手(現調教師)にとっても悲願のダービー初制覇。
2003年の
阪神大賞典をラストランに現役引退。北海道浦河町の日高スタリオン
ステーションにて種牡馬として供用され、種牡馬引退後は北海道千歳市の社台
ファームなどで繋養されていた。
【社台
ファーム場長 東礼治郎氏のコメント】
2000年のダービー馬
アグネスフライトは、起立不能となり、回復の見込みが立たず安楽死の措置が取られました。
現役引退後は日高スタリオンで種牡馬生活を送り、種牡馬引退後は社台
ファームに乗馬として引き取り、若いホースマンたちの指導役として活躍してくれました。乗馬引退後は2015年9月に社台ブルーグラス
ファームに移り、功労馬厩舎にて
ローエングリン、
スカーレットブーケ、
スティンガーたちと悠々自適な放牧生活を満喫しておりました。一昨年の夏に一度体調を崩した以外は健康状態に波がなく、ここまで丈夫に過ごしていました。年が明けて起立不能な状態に陥り、スタッフ一同懸命に治療を行い、回復を願ってきましたが本日とうとう力尽きました。26歳、最期まで立派でした。
エアシャカールと体をぶつけ合いながらもハナ差で勝利をもぎ取ったダービーのゴールシーンは鮮明に脳裏に焼き付いています。祖母の代から3代続けてクラシックレースを制した血のドラマに感動しました。長きに亘り、我々と過ごしてくれたことに感謝の気持ちで一杯です。安らかに眠って欲しいと思います。
(
JRAホームページより)