3月1日(水)に
川崎競馬場で行われる
エンプレス杯(4歳上牝・JpnII・ダ2100m)。1955年に創設された伝統の一戦で、現在は春のダート女王決定戦として定着している。過去の勝ち馬の中で、燦爛と輝きを放つのが
ホクトベガ。ダート交流重賞の黎明期に活躍した歴史的名馬だ。
■「
ベガは
ベガでも…」名フレーズ生む激走
ホクトベガは
父ナグルスキー、
母タケノファルコン、母の
父フィリップオブスペインという血統の牝馬。現役時代は美浦の中野隆良厩舎に所属した。
93年1月に迎えたデビュー戦を9馬身差で圧勝し、同年3月の
フラワーCで重賞初制覇を飾る。迎えた春のクラシックでは、西の一等星こと
ベガの後塵を拝したが、秋の
エリザベス女王杯で雪辱。1枠を利した最内強襲策が見事にハマり「
ベガは
ベガでも、
ホクトベガです」の名フレーズを背にGIタイトルを獲得する。
しかし、その後は苦戦が続いた。
札幌記念を勝利するなど一定の成果を挙げたものの、GI馬としては物足りない成績。様々な距離やコースを試したが連敗は止められず、一時は障害転向も検討されたほど。そんな失意の
ホクトベガに転機が訪れたのは95年のことだった。同年から始まったダート交流重賞への挑戦が運命を大きく変えていく――。
■衝撃の3.6秒差 ダート界の超新星誕生
95年の
エンプレス杯は7頭立てとなった。連覇を狙う
ケーエフネプチュンと、牡馬相手に
ダイオライト記念を制した
アクアライデンという南関東が誇る最強牝馬2頭に加え、目下7連勝中の
マフィンや、東海からの遠征馬
クラシャトルなど、少数精鋭な好メンバーが集結。その中にあってもGI勝ちの実績が買われ、
ホクトベガは1番人気に支持された。
ゲートが開くと
ケーエフネプチュンが勢いよく飛び出し、
ホクトベガは軽く追っつけ外の2番手に付けた。しかし、能力の違いが有りすぎたのか、1周目のゴール板前から早くも進出を開始。決して促しているわけでも、引っかかっているわけでもない。
横山典弘騎手が、がっちり抑え込んだまま後続を引き離していき、直線は一頭だけ彗星のように駆け抜けていった。終始馬なりのままで3.6秒差の圧勝。生まれ持った才能が開花した瞬間だった。
その後は芝を5戦試したものの勝利を挙げられず、96年からはダートへ本格転向。
JRAや南関東のみならず、高崎や盛岡など全国行脚で勝利を重ね、97年の
川崎記念で交流重賞10連勝という大記録を打ち立てた。だが、ラストラン予定だった
ドバイWCでアク
シデントにより競走中止、そして予後不良の診断。元祖・砂の女王は、ドバイの空から日本馬の活躍を見守っている。