メジロ牧場。競馬史に輝かしい蹄跡を残した、生産者と馬主を兼ねるオーナーブリーダー。2011年に解散している。
メジロ牧場の開場は1967年。それ以前より北野豊吉氏は個人名義やメジロ商事名義で、69年秋
メジロタイヨウ、70年秋
メジロアサマ、71年春
メジロムサシと立て続けに天皇賞を勝った。開場したメジロ牧場からも
メジロティターンが82年秋に天皇賞を勝ち、とりわけ長距離(当時の天皇賞は春秋ともに3200メートル)で存在感を示していた。
北野豊吉氏は84年に他界。盾を春秋合わせて4つ手にした豊吉氏だが、クラシックとは縁がなかった。61年
メジロオーはダービーが鼻差2着、
菊花賞が頭差2着。82年
メジロカーラの
桜花賞も2着。85年まで「メジロ」はのべ42頭をクラシックに送り込み未勝利だった。
そのメジロがついに、クラシックを獲る時が来た。86年
桜花賞。22頭立ての5枠13番、堂々の単枠指定馬として
メジロラモーヌが出走。単勝オッズは1・6倍。
レースは
カツダイナミックが好スタートを切ったが、
マチカネエルベが先頭へ。
メジロラモーヌは中団のやや前9番手あたりで馬群の内寄り。前半600メートルが34秒0と当時の
桜花賞らしい速めのペース。
河内洋騎手は「今日の馬場は3角過ぎの内めだけが悪いから」と、そのエリアに入る前に馬群の外に持ち出した。そこから早めの進出を開始。4角を回ったところでもう3番手。残り200メートルを通過して後続から飛んでくる馬がいないとみて、粘る
マチカネエルベをかわして先頭。1馬身3/4差をつけてゴール。完勝だった。「単枠で人気した馬で勝ててうれしいよ。まず勝てると思った強い馬で、その通りにできて勝てたからね」と河内は静かに振り返った。
冷静なジョッキーとは対照的に、感極まったのはメジロの総帥、北野ミヤさん。北野豊吉氏の妻で、夫の遺影と共にレースを見守っていた。「この写真をご覧になってください。クラシックは故人の念願でした」と遺影を誇らしげに掲げた。奥平真治調教師は「豊吉さんが
桜花賞馬を授けてくれたんだと思います」とミヤさんの手を握りしめた。
メジロラモーヌは1〜2歳のころ目立たず、所属厩舎が決まるのがメジロ牧場の同期26頭の中でもかなり遅かった。通常より遅れて、縁あって奥平真治厩舎に決まったところから、ついにG1馬に。のちに
メジロアルダン(ラモーヌの半弟)、
メジロライアン(
宝塚記念)などを管理し、メジロのメインステーブルの一つとなった同厩舎に初めて入厩した「メジロ」が
メジロラモーヌだった。
メジロラモーヌは
桜花賞前の4歳牝馬特別(阪神)も制しており、
トライアル―本番と連勝。このあと、4歳牝馬特別(東京)―
オークス、
ローズS―
エリザベス女王杯と各
トライアルとG1をセットで制して6連勝。「完全3冠」ともいわれた。重賞6連勝は当時の最多連勝記録だった。
スポニチ