生半可な気持ちで足を踏み入れることはできない。これはどのスポーツ競技にも言えることだろう。特に競馬競技はその特殊さゆえに、“父が騎手だった”“家族の中に競馬関係者がいた”というルーツから足を踏み入れる騎手が多い。
私自身、小学2年生から高校卒業までの10年間、器械体操に挑戦し続けた。周りに体操経験者のいない私は、自分が毎日続けていることは本当に正しいのか、ということに確信を持てないまま練習に取り組んでいた。やはり、確実な道筋を示してくれる人が周りにいるということは、スポーツをする上で大きなアドバンテージになる。
7月2日中京2R、
ピエナパイロに騎乗しJRA通算4勝目を挙げた、
河原田菜々騎手(18)=栗東・渡辺=は、全く競馬と関わりのない一般家庭で育った。大阪市・鶴見の家から自転車で10分ほどの距離にある乗馬クラブ「鶴見緑地乗馬苑」で乗馬の基本を学ぶ。動物好きの少女の「やってみたい」という好奇心が彼女と競馬を結びつけた。乗馬をしていくうちに、“馬のかわいさ”“できなかったことが、できるようになったときの達成感”を強く感じ、今後馬に関わる仕事をしたい、と思うようになったという。そんなときに、偶然目にした競馬中継は彼女の心を引き付けて離さなかった。
「栗東に
ジュニアチームがあって、そこに入れたら競馬学校の1次試験が免除されるんです。だから、栗東に引っ越したかった」とまだ小学生だった彼女はずっと先を見ていた。そんな娘を「あなたが目指す夢なら応援するよ」と両親は温かく背中を押してくれた。
中学に進学するタイミングで引っ越し、父は単身赴任だったため、母娘2人での栗東生活が始まる。
『二人三脚』。彼女の競馬学校受験までの3年間を語る上で、これ以上ふさわしい言葉はないだろう。懇願していた少年団へは抽選で入れず、京都の「Jドリーマーズ」へ通うことに。
しかし、“当たり前”が分からない。どうしたら競馬学校に入学できるのか、どういう対策を取ったらいいのか、ということに両親はいつも頭を抱えていた。「競馬関係者の子以外は受からないと思っていた」と“一般家庭の子”ということへの不安が、とてつもなく大きかったことを河原田騎手は口にする。
それでも、できることを少しずつ、と両親はあらゆる情報をかき集め、彼女を陰から支えた。「実際に騎手の方を担当しているトレーナーさんがいると母が聞いてきて、
武豊騎手が
プロデューサーを務めるジムに試験の1年前から通わせてもらいました。本当に感謝しています」と当時の気持ちを改めて思い出す。騎手となった彼女を支えているのは両親とともに歩んできた日々だ。
「競馬学校に入学してからは、レベルの高い方たちからいつも刺激を受けていました。整った環境の中で先生方の手厚い指導、サポートを受けることができて、何一つ困ることは無く騎手を目指すことができた」と力強く言い切ることができるのは、やはり“教えてもらえることが当たり前ではない”ということを身に染みて経験してきたからだろう。
騎手になり、現在は
渡辺薫彦調教師のもとで奮闘の日々を送る。「渡辺先生の人柄を尊敬しています。周りの方から愛されていて、信頼されている。私もそうなりたい」と偉大な師匠の背中を追う。
渡辺師から見た河原田騎手とは-。「いい意味でデビュー当初から変わらないですね。馬に対する真剣な姿勢や、努力できるところも。幼少期から馬に乗っているので、技術や基本もしっかりしています。元騎手としての目線からできるアド
バイスをしてます」と常に競馬に真摯に向き合い続けるまな弟子を見守る。
前述の
ピエナパイロでの勝利は、師匠の管理馬での初勝利だった。「もちろん自分の厩舎の馬で菜々が勝ってくれたのはすごくうれしかった。性格的にもプレッシャーを感じてそうだったしね。でもプレッシャーなんて感じなくていいんですけどね」。そう話す師匠の穏やかな表情から、2人の絆の深さが伝わる。
「女性だから追えない、乗れないと思われないようにしたいです。この間のこと(スマホ不適切使用)で、信頼を失ってしまった。今乗せてもらっていることに本当に感謝しています。少しずつ信頼していただけるように努力して、恩返しできるような騎手になりたい」と力強く話す。競馬に魅せられた少女の挑戦はまだ始まったばかり。前だけを向いて突き進んでいく。(デイリースポーツ・小田穂乃実)
提供:デイリースポーツ