日本調教師会関西本部は29日、服部利之調教師=栗東=が28日に病気のため死去したと発表した。65歳だった。葬儀等は家族葬で執り行われる。
近年は体調を崩してトレセンに姿を見せることも少なくなっていたが、今年3月に12年ぶりの
JRA重賞Vとなった
阪神スプリングJ(
ジェミニキング)では競馬場に姿を見せていた。近年では
シングンマイケルなどのG1馬を管理した高市圭二調教師がまだ現役だった20年2月に64歳で亡くなっている。
1958年6月12日に京都府で生まれた。父は
ニホンピロムーテー、
キタノカチドキ、
ニホンピロウイナーなど数々の名馬を管理し、G1級競走を10勝した服部正利元調教師。84年に父の厩舎で厩務員となり、助手時代の98年に調教師免許を取得、99年3月に開業した。同4月に初勝利を挙げ、2000年
小倉記念の
ミッキーダンスで重賞初制覇。06〜08年に
南部杯を3連覇するなど交流G1を7勝した
ブルーコンコルドも育てた。
今月22日の中京3R・
ビナカントーが最後の勝利となり、
JRA通算4501戦で重賞11勝を含む209勝。管理していた26頭は29日付けで大橋厩舎に転厩となる。
◆悼む
昔ながらのホースマンだった。服部調教師は反骨心の塊のような人。威勢のいいコメントを聞くのが本当に楽しみだった。
ブルーコンコルドが2着だった08年
フェブラリーSはレース前から「ええで、ええで」と言い続けながらも7番人気の低評価。レース後は「お前ら、何を見てたんじゃ!」と真っ赤な顔で激怒した。だが記者が本命にしていたことを知ると「そうか、ありがとな」とポツリ。朗らかな笑顔だった。
最後に会ったのは今年の
阪神スプリングJのレース後。単勝92・5倍の
ジェミニキングで制すと「レース前から負ける気がせんかったで。いじめられっ子がクラスのボスをボコボコにやっつけるような感じや」。杖をつきながらも満面の笑み。元気な言葉がうれしかった。
トレセンで乗っていた車には、いつも競馬ファン
ファーレのサントラが流れていた。「これを聞くと、
テンションが上がるんじゃ!」。熱くて、優しくて、面白い服部調教師を取材できて幸せだった。(前
中央競馬担当・内尾 篤嗣)
スポーツ報知