フランスの
ミカエル・ミシェル騎手が10月5日、
JRA通年騎手免許1次試験で2年連続の不合格となった。翌日に出された「今は何も考えられません」のコメントから失意の大きさがうかがえ、胸が痛くなった。
2020年2月13日、私は
船橋競馬場にいた。前年の
ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)で総合3位タイと活躍し、注目を集めていた
ミシェル騎手は、1月27日より
地方競馬の短期免許を所得。約3か月間、南関東競馬を中心に騎乗していた。当時、公営競技全般を担当していた私は初騎乗の日から
ミシェル騎手を取材。フィーバーの真っただ中にいた。
そんな折、船橋で全レース終了後に囲み取材が行われた。真冬のナイター競馬で、報道陣も震える午後9時の寒さの中でも、
ヒロインは嫌な顔一つせず質問に丁寧に答えていった。ひとしきり質問が終わり、さあ解散という空気の中で、私は思い切って「明日はバレンタインデーですが、何かプレゼントは用意していますか?」と、ぶつけた。一瞬、空気が凍った。今にして思えば、プロのアスリートに対する質問としては、的外れだったかもしれない。ただ、当時の私は少しでもネタがほしかった。しかし、
ミシェル騎手は関係者、報道陣が苦笑いする中、「フランスでバレンタインデーは男性が女性に贈り物をする日なんです。だから、皆さんからのプレゼントをお待ちしていますね」と、最高の笑顔で答えてくれた。かねて「
メディアに話すのも騎手の仕事」と公言していた彼女らしい、素晴らしい対応だった。
それだけではない。バレンタインデー当日の14日は別の競技の取材で船橋に行くことができなかったが、翌週、
浦和競馬場で声をかけると「プレゼントは持ってきてくれました?」と、いたずらっぽく返してくれた。まさか、覚えていてくれたなんて。何も用意していなかった自分を恥じた。隣ではエージェントで現在は夫、当時は恋人だった
フレデリック・スパニュ氏が笑っていた。彼も好漢で、あいさつをすると必ず笑顔で大きく手を振って返してくれた。間違いなく、あのとき取材していた記者たちはカップルのファンになっていた。
だからこそ、昨年からの
JRA通年騎手挑戦は応援していた。今年9月27日、1次試験終了後の
ミシェル騎手を取材したとき、疲れ切った表情にチャレンジの過酷さを痛感させられた。無責任に来年も挑戦してほしいとは言えない。今はただ、残念にほかならない。(
中央競馬担当・角田 晨)
スポーツ報知