全国リーディングで首位(45勝)を走る
杉山晴紀調教師(41=栗東)。馬房数(24)で劣る中、
中内田充正師(同26)、
矢作芳人師(同30)と互角の勝負を展開する。先日、引退が決まったが
デアリングタクト(牝6)という無敗の3冠牝馬も送り出した、今、最も目が離せない若手調教師だ。
その新進気鋭が、きらめくような才能を初めて披露した、いわば原点というべき一戦が09年
菊花賞だ。勝ったのは8番人気の伏兵・
スリーロールス。しかし、同馬の調教を担当していた当時27歳の
杉山晴紀助手にとっては、自信を胸に送り出した一戦だった。
この馬で
菊花賞へ――。それが09年春、武宏平厩舎スタッフの合言葉だった。素質は相当。ただ、トモ(後肢)がとにかく甘い。秋になって後肢に力が付けば、かなりやれるはず。杉山助手は半年後をにらみ、冷静に計算した。
5月3日、京都で500万戦(現1勝クラス)を勝った。続いて重賞へ――と行きたいところだが、あっさり放牧に出した。「全ては
菊花賞から逆算してのもの。計算通りです」。当時、杉山助手はそう話した。
8月1日に栗東へと帰厩する
スリーロールスのために、杉山助手は忙しく準備した。当時はまだ珍しかったミストファン(水分を噴霧する扇風機)を
スリーロールスの馬房に設置。復帰戦は小回りの小倉を避け、伸び伸びと走れる新潟を選択した。叩き2戦目の阪神・
野分特別を勝ち、
菊花賞出走のチャンスを待つことも計算の上だった。
「思い通りの成長過程だった。乗っていても腰がパンとしたことが分かる。思い描いたシナリオで菊を迎えられることに胸を張りたい」と当時の杉山助手。最後の関門は抽選。出走確率は7分の6だったが無事に突破した。「何とか出したかった。こういう馬でG1に挑めることは、なかなかないから」と語った。
1枠1番から絶好のスタート。4番手付近のインを進んだ。
リーチザクラウンが飛ばして地力を問われる厳しいペースに。当時20歳の若手、
浜中俊騎手がうまかったのは、3角の坂上から4角へと向かう際、外から上昇する馬たちに付き合わず、自分のペースを守ったことだ。
直線では残り100mで
リーチザクラウンをかわして先頭。中団から鋭く脚を繰り出した
フォゲッタブルの追い上げを鼻差しのいだ。浜中騎手の左手が上がり、右手で
スリーロールスの首を優しく叩いた。
レース後、
リーチザクラウン(5着)から降りた
武豊騎手はこうつぶやいた。「
ダンスインザダークのワンツーだったか…」。自らがつくり出したペースは、96年に第57代
菊花賞馬へと導いた盟友の子を1、2着させる、
武豊騎手にとっては皮肉な結果となった。ただ、
菊花賞馬の子が
菊花賞を制したことに大きく納得したような表情も見せた。
スタンドで見ていた杉山助手も
ダンスインザダーク産駒のワンツー劇に体が震えていた。神奈川県の高校時代、競馬に夢中になり、
ダンスインザダークが勝った
菊花賞を見て、競馬を一生の仕事とすることを決意した。「
ダンスインザダークの子で
菊花賞へ向かうことを不思議に思う」。その相棒が勝ち、2着
フォゲッタブルも
ダンスインザダークの子。「一生忘れない
菊花賞になりました」。そう語った杉山助手が、より大きな舞台を見据えて調教師免許を手にしたのは7年後、2016年のことだった。
スポニチ