今年は詩人で劇作家の寺山修司氏が亡くなって40年。舞台を中心に
メモリアルイ
ベントが行われているが、競馬についても人と馬が織りなすドラマをエッセーやコラムにつづり「ギャンブルから文化に引き上げた」と高く評された。1970年から83年に亡くなる直前までスポーツ報知に予想コラムを連載。今秋G1の4レースに合わせ、当時のコラムを復刻し再掲載する。第1回は71年11月13日付紙面で
菊花賞(同11月14日)について記した「灰色の秋」。
71年11月13日付コラム「灰色の秋」再掲
ダービーが終わったときに、秋の再会を約束して、馬たちは散っていった。
だが、約束の
菊花賞がやってきても、春の顔ぶれがみんなそろうことはできなかった。ある馬は足を骨折して戦陣を離れ、ある馬は種子骨を痛めて、長い病床の生活にはいった。
そして、思いがけない
ニホンピロムーテーが成長して、新しい英雄になっていった。
私は、菊より桜が好きである。
桜は寿命が短いが、咲くときはあざやかだ。だが、菊はなかなか枯れぬかわり、地味で、ちっとも美しくない。
私は、
菊花賞へ向かう汽車の中で、ことしの桜だった
ヒカルイマイのことを思っていた。名もない百姓家で生まれ、母乳がたりないため牛乳で育った無名の馬に、なんとかして「三冠」の栄光を輝かせてやりたかったのだ。
花と咲くより、踏まれて生きる 草の心がオレは好き
という歌の文句は、
ヒカルイマイのためにあったようなものだ。
「なににするか、決まったかい?」と、スシ屋の政が、車窓にもたれてきいた。
「オレは、
ヤシマライデンで決まりだと思うがね」
私は、政の心境を思った。ファンは春の英傑の中から
菊花賞馬を選ぼうとしている。
ヤシマライデン、
オンワードガイ、などだが、秋に桜が咲くことはないだろう。秋に勝つのは、秋の出世馬だ。
ニホンピロムーテー、
ベルワイドがやはり強いとみるべきだ。
そのくせ、私は
ゼンマツを買うつもりでいる。雨が降らなければ、多分、無理だが、この灰色の馬には、なぜか心がひかれる。いつも大レースに出て、いいところにきながら、一度も人気になったことのない灰色の馬。この馬が初出走であざやかに勝ったときも一ワクだったことが思い出される。
デッチのような名だが、
ゼンマツの勝負強さが私は好きだ。
ゼンマツ、
ダイトモナーク、それに七ワクの馬を穴にして、このレースの馬券を買ってみたい、と私は思っている。(詩人)=原文まま=
「テラヤマ・ワールド」笹目浩之代表が語る寺山修司
スポーツ報知(当時は報知新聞)で寺山のコラムが始まった1970年。競馬は当時、公営ギャンブルの中の一つと言った存在で、まだ女性が一人で競馬場を訪れるような雰囲気もなかった時代だった。そこに詩人、劇作家として活躍していた寺山が光を当て始める。73年に第1次競馬ブームを巻き起こした“怪物”
ハイセイコー、“流星の貴公子”と愛された
テンポイントをはじめ、様々な個性あふれる競走馬を通して人々の心を動かしていった。
「ギャンブルですけど、ただのギャンブルじゃない。ロマンというか、競馬というものを人生にたとえて、面白さをわかりやすく伝えたと思いますね」と話すのは寺山の著作権を管理するテラヤマ・ワールドの笹目浩之代表だ。
「ただ走るだけなのに、こんなに人生のドラマと掛け合わせられるものかと改めて思う」と驚く。あるのは「社会から見過ごされそうな、アウトロー的な人たち」への視点。笹目によると、その視点は最初から寺山の作品に通じており「どんな人にもドラマがあって、むしろそういう人たちの方が面白い。競馬はお金持ちも、そうではない人たちも、立場は違えど同じようなドラマを繰り広げていて、そこが面白かったんじゃないかな」。
さらに「競馬、あとはボクシングもそうですが、勝負事があるなか、敗れていく人のことには興味があったのかもしれませんね」とも。今年の
天皇賞・春。1番人気
タイトルホルダーの敗戦には笹目も言葉を失ったというが、競馬に絶対はない。その不確実性も含めて「勝った方は常に称賛を浴びるけど、負けた方はなぜ浴びないのか。そんな『負け方の美学』を結構追究しているところがある」という寺山の作品は、競馬の本質をとらえていたとも言える。
「一度、寺山の戯曲を上演した劇団は続けてやりたいというところが多いんですよ。詩人の紡ぎ出す言葉の魅力というか、役者さんも美しいセリフの心地よさがあるようです。そして小さい頃から俳句、短歌をやっていたので、非常に短い言葉で人をすごく説得できる。今で言う
コピーライターの先駆けだと思います」と笹目。
71年の「灰色の秋」では、再会を約束した馬たちの多くが
菊花賞への出走を果たせないと語り、芦毛の
ゼンマツに願いを掛けた。対して今年の
菊花賞は
日本ダービー馬
タスティエーラと
皐月賞馬
ソールオリエンスがそろい踏み。逃げ馬が好きだったと言われる寺山だが、今回のメンバーを見たら、どの馬に思いをたくすだろうか。(取材・構成=坂本 達洋)=敬称略=
寺山氏と競馬
「さらば
ハイセイコー」「さらば、
テンポイント」の詩など多くの競馬にまつわる作品を残し、報知新聞の競馬欄に1970年10月10日から
中央競馬の予想コラム「みどころ」「風の吹くまゝ」を連載した。「スシ屋の政」をはじめ個性的なキャラクターが登場するストーリーは好評を博して、83年5月に47歳で亡くなる直前まで続き、同年4月17日付の
皐月賞のコラムが最後となった。
1971年の主な出来事
第38回
日本ダービーは
ヒカルイマイ(牡、栗東・谷八郎厩舎)が田島良保騎手とのコンビで制して、
皐月賞とあわせて牡馬2冠に輝く。プロ野球のオールスターで阪神・江夏豊投手が7月17日の第1戦(西宮)で初回から9者連続奪三振の記録を打ち立てる。セ・リーグは川上哲治監督率いる巨人がリーグ7連覇を達成して、日本シリーズでは阪急を4勝1敗で破って日本一に。昭和の大横綱と言われた大鵬が5月場所を最後に現役引退。8月に円が変動相場制へ移行。9月に日清食品が「カップヌードル」を発売開始。
◆寺山 修司(てらやま・しゅうじ)1935年12月10日、青森県生まれ。54年に早大教育学部国語国文学科に入学して、ネフローゼにかかり翌年中退。在学中に「チェホフ祭」で第2回短歌研究新人賞を受賞、創作の道に入る。67年に演劇実験室「天井桟敷」を設立。劇作家として活躍して、詩、映画、文学、評論など幅広い分野で才能を発揮した。83年5月4日に肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発して死去。享年47歳。
スポーツ報知