10月29日(日)に東京競馬場で行われる
天皇賞(秋)(3歳上・GI・芝2000m)。
JRAには数々の重賞レースやオープンレースがある中で、なぜ「天皇賞」だけが春秋2回行われているのか、距離が異なるのか、疑問に感じたことはないだろうか。
「天皇賞」は、1905年に横浜の日本レースクラブが明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した「
エンペラーズカップ」が前身とされる。その後、各地の競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」として行われていたが、37年に各地の競馬倶楽部が日本競馬会へ統合されたことを機に、同競走は年2回(当時は春:阪神、秋:東京)の開催へと改編された。
44年秋から46年まで第二次世界大戦による中止をはさみ、47年春には「
平和賞」の名称でレースが復活。同年秋には「天皇賞」へと改名され、同時に春は京都、秋は東京での開催が定着した。第3回の38年秋から距離は3200mとなったが、秋は84年の番組改革時に芝2000mへと短縮。これにより、春は4歳以上の
トップステイヤーを決めるレース、秋は3歳以上の中距離王者決定戦と、役割や性格が分かれることになった。
まとめると、「各地の競馬倶楽部で行われていた競走を統合したため年2回の開催になった」「春秋ともに3200mで行われていたが、番組改革によって秋だけ短縮された」「100年以上の歴史を持つ、日本競馬の基幹競走」ということになる。なお、年に複数回行われていたのは「天皇賞」に限らず、
目黒記念や
京都記念、
中山大障害なども春秋開催だった。前者2競走は1984年の
グレード制導入時に年1回の開催へ移行。
中山大障害は1999年の障害競走改革の際に春の競走を廃止、および
中山グランドジャンプを創設したため、年末のみの施行となっている。
最後に“勝ち抜け制度”についても紹介したい。今年は
イクイノックスが連覇に挑むが、以前は複数回勝つことが“不可能”だったことをご存じだろうか。これは1980年まで“勝ち抜け制度”なるものがあったためで、一度「天皇賞」を勝った馬は出走することが出来なかったことによる。今では考えられない仕組みだが、こういった制度も存在していた。
今秋で第168回を数える「天皇賞」は、紆余曲折さまざまな出来事があって今のレース
スタイルとなった。今年も
イクイノックスや
ドウデュースら豪華メンバーがレースを盛り上げ、歴史を紡いでいくことだろう。昨年覇者の連覇か、それとも他馬の台頭か。“伝統の一戦”、発走は29日(日)の15時40分だ。