12日に行われる
エリザベス女王杯(3歳上牝・GI・芝2200m)は、3歳馬と古馬が激突する秋の女王決定戦として今年で48回目を迎える。これまで幾多のドラマを生んできた伝統ある一戦だが、なぜ同レースには2022年にこの世を去ったエリザベス2世の名前がついているのだろうか。約半世紀の歴史を探ってみた。
冠名となっているエリザベス2世は1926年生まれで、52年に父の死去にともなってイギリス女王に即位した。16年に90歳を超えても公務を行い、22年9月8日に老衰で崩御。在位期間70年と214日は同国において最長在位の君主であった。そんなエリザベス2世は競馬好きで知られる。54年の
キングジョージVI世&
クイーンエリザベスSをオ
リオールで制するなど、馬主として深い関わりを持った。
75年に1度だけ来日したエリザベス2世。皇居や伊勢神宮、京都御所を訪問し、都内で行われたパレードには11万人が訪れ熱狂した。この出来事に競馬界も反応。イギリスはサラブレッド競馬発祥の地でもあることから、来日を記念して誕生したのが
エリザベス女王杯である。それまで行われていた3歳牝馬三冠最終戦の「
ビクトリアカップ」を前身として76年に創設。京都芝2400m、負担重量は定量、3歳牝馬限定の混合競走だった。
創設以来、
エリザベス女王杯は牝馬三冠の最終戦としての役割を担ってきたが、96年の牝馬競走体系の整備に伴って競走条件が3歳以上の牝馬限定に変更。同時に距離も芝2200mへと短縮された。当時は古馬牝馬限定のGIがなく、4歳以降は必然的に牡馬と混じって戦うことになるため、古馬牝馬路線を充実させようという機運が高まっており、ほかにも
マーメイドSを新設するなど、牝馬の競走馬としての活躍の場を広げる機会となった。
古馬解放後も
メジロドーベルの連覇や
ダイワスカーレットの変則三冠と数々の名勝負を生んだ同レース。12年にはイギリス以外では許可されていない「ダイヤモンドジュビリー」(60周年記念)の許可をもらい、「エリザベス女王即位60年記念」の冠もつけられている。
エリザベス2世は22年に崩御されたが、世界各地の競馬場では女王の名のついたレースが行われており、セリ名簿表記の国際基準書によると、
オーストラリア、イギリス、香港、ニュージーランド、アメリカなど9カ国で女王の名を冠したリステッド以上の競走を実施。また
JRAによるとレース名の変更は考えていないという。
世界の競馬で今なおいきづくエリザベス2世の名前。今年も競馬を愛した女王に見守られながら、4年ぶりとなる淀の地で熱戦のゲートが開く。