日々トレセンや競馬場で取材を続ける記者がテーマを考え、自由に書く「書く書くしかじか」。今週は大阪本社の寺下厚司(40)が担当する。23年も海外のビッグレースを勝利してきた日本馬。4日に行われた
オーストラリアの超高額賞金レース「
ゴールデンイーグル」(1着賞金525万豪ドル=約5億円)を制した
オオバンブルマイ(牡3)を管理する
吉村圭司師(51)に劇的Vを振り返ってもらった。
異国の地での
ビッグマネー獲得は大きな話題になった。4日、
オーストラリアのローズヒルガーデンズ競馬場で行われた「
ゴールデンイーグル」(芝1500メートル)は日本馬の
オオバンブルマイが差し切りV。1着賞金約5億円を手にした。
ゴールデンイーグルは19年に創設され、重賞の格付けはないが23年世界高額賞金ランキング6位で
JRAの
ジャパンC、
有馬記念(1着賞金はともに5億円)と同レベル。今年の日本馬は同1位の
サウジカップ(1着13億円)を
パンサラッサが勝ち、2位のドバイワールドC(同約9億円)も
ウシュバテソーロがV。海外の高額賞金レースを日本馬が次々と勝利している。
遠征に踏み切った経緯について、吉村師は次のように語る。「何年も前から、
オーストラリアターフクラブの方からは日本馬の誘致の話があった。ただ、招待じゃないから、なかなか機会がなくて。当初は富士Sか
スワンSを考えていたが、秋の始動戦で古馬と戦うのも楽なことではないからね。限定戦(南半球産は4歳)のレースですし賞金も高額。オーナー(岡浩二氏)もすぐ“前向きに行こう”と言ってくださいました」。
ただ、
オーストラリアへの遠征は検疫が厳しいことでも有名。出国前には中山競馬場で2週間の検疫に入った。「検査も楽ではなくて
JRAの獣医師さんが立ち会いの下で毎週、歩様検査の動画を送った。中山競馬場に入室する際はシャワーを浴びて、馬に触って厩舎エリアから出る時もシャワーを浴びないといけなかった。スタッフも大変だったと思う」とねぎらった。
慣れない環境でも、
オオバンブルマイに戸惑いはなかったという。「中山では1頭だったけど、寂しがらずに助かりましたね。向こうではヨーロッパの遠征馬も2頭いたし一緒に検疫厩舎を利用できた。近くには外国特有の自然の大きな木とかもあって朝から鳥のさえずりが聞こえてきた。馬は凄く気に入った様子でしたよ」と教えてくれた。
現地に着いてからも調整は順調に進んだが、アク
シデントもあった。騎乗予定だった
武豊が前週の天皇賞当日に負傷、乗り替わることに。現地で急きょ代役を探し、パーとのコンビで臨んだ。「同じ日に
メルボルンでヴィクトリアダービーがあり開催が重なっていたため、乗れるジョッキーも少なくて。ほぼ
ジョシュア(パー)の1択でした。彼も
メルボルンで騎乗馬のオ
ファーもあったということで、もうちょっと遅かったらジョッキーが違ったかも」。
馬の特徴については、
オーストラリアでも騎乗経験があり、現地に同行した藤井騎手を通して、しっかり伝わった。「豊さんから藤井さんを通して、こういう馬ですと連絡してくださっていた。現地の人からは“
ジョシュアを確保できたら何の心配もない”と。本当にいいジョッキーがいてくれて良かったですね」とかみしめる。
レースは内をロスなく立ち回り、前にスペースができると鋭く伸びて差し切りV。スタンドの2階で見守っていた指揮官は「最後は声が出ましたね。直線100メートルぐらいは凄い瞬間でした。日本だと周りの方を気遣って、そこまで大きく喜べないけど通訳の方とも抱き合って喜びました」と歓喜の瞬間を振り返った。
「あの馬の頑張りには僕自身、凄く感動させてもらいました。僕らが勇気をもらいましたね」。そして関わった方々への感謝も忘れない。「
JRAの獣医師さんや輸送業者の方々、現地に着いてからも競馬場の施設の方にも親切にしていただいて。どれだけの方に携わってもらったか分からない。多くの人のおかげで遠征につながり、最高の結果を出してくれました」。日本馬の可能性をさらに広げる大きな勝利になったのは間違いない。
◇吉村 圭司(よしむら・けいじ)1972年(昭47)5月31日生まれ、熊本県出身の51歳。栗東・飯田明弘厩舎で厩務員、助手、
池江泰寿厩舎で助手を務める。11年に調教師免許を取得、
JRA通算2866戦260勝(うち重賞9勝)。
オオバンブルマイの渡豪は厩舎にとって
クイーンズリングで挑んだ16年
香港カップ(9着)以来、2度目の海外遠征だった。
◇寺下 厚司(てらした・あつし)1983年(昭58)10月22日生まれ、京都市出身の40歳。阪大工学部卒業、東大大学院中退。09年秋から東京レース部の競馬担当、13年春に大阪レース部へ異動。
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