07年から16年連続で
JRA勢が馬券圏内を独占している
ジャパンカップ(3歳上・GI・芝2400m)だが、創設当初は外国馬の天下だった。そんな時代を盛り上げたのが、最近ではすっかり見かけなくなった
凱旋門賞馬の参戦だった。
凱旋門賞馬として初来日したのは88年の
トニービンだった。主にイ
タリアで活躍し、4歳時の
凱旋門賞はトランポリーノの2着。5歳時にも再挑戦して、1番人気のムトトをクビ差抑えて優勝した。その後、ジョッキークラブ大賞(2着)を挟み、
ジャパンCは2番人気で5着。この一戦を最後に引退して、社台スタリオン
ステーションで種牡馬入り。
ウイニングチケットや
ジャングルポケット、
ベガや
エアグルーヴなどの名馬を輩出し、
サンデーサイレンス、
ブライアンズタイムとともに平成の競馬シーンを引っ張る存在となった。
トニービンを契機として、
凱旋門賞馬の参戦が続いた。翌89年の
キャロルハウスはレース前に購入した吉田善哉氏の勝負服で走り、ブービーの14着に大敗。
トニービンに続いて、91年からは社台スタリオン
ステーションで種牡馬となった。93年には
アーバンシーが牝馬の
凱旋門賞馬として初来日して8着。後に
ガリレオや
シーザスターズなど、歴史的名馬を輩出する名繁殖牝馬となっている。
96年の
エリシオは
凱旋門賞馬として初めて1番人気に支持されたが3着(同着)。この馬も翌98年から社台スタリオン
ステーションにスタッドインしている。そして20世紀最後の参戦となったのが
モンジュー。
凱旋門賞で日本の
エルコンドルパサーを倒したことで、抜群の知名度を誇っていた。レースでは1番人気に支持され、
スペシャルウィークとの一騎打ちが期待されたが、伸びを欠いて4着。陣営は調整不足を敗因に挙げた。
この頃から日本馬が外国馬を圧倒するようになり、
凱旋門賞馬の遠征は減少する。21世紀になって最初の参戦は、
モンジューから6年が経った05年の
バゴ。前年の勝ち馬として挑んだが、自身初の掲示板外となる8着。その後は日本で種牡馬となり、
クロノジェネシスや
ビッグウィークを送り出している。さらに5年後、11年には
デインドリームが1番人気に支持されたが6着。翌12年の
ソレミアは
ジェンティルドンナから1秒6差の13着に大敗した。
ソレミアを最後に今年まで11年連続で
凱旋門賞馬は参戦していない。それどころか、19年に至っては外国馬の参戦自体がなしという異常事態だった。同じ2400mでも全く異なる馬場、10月のブ
リーダーズCと12月の香港国際競走に挟まれた施行時期など、難しい問題も多々あるが、以前のように超大物が来日してくれる日を心待ちにしたい。