競馬の世界は常に死と隣り合わせだ。大きな馬体が膝から崩れ落ちる瞬間。突然の発作で、立っていることすらままならず、倒れ込んでしまう姿。まだ1年目の新人記者の私だが、今年のダービーでレース後、
スキルヴィングが、必死に4本の脚で歩いている姿が今でも脳裏に焼き付いている。
栗東トレセンで取材をさせていただくようになり、普段から本当にいとおしそうに馬を見つめ、「この子ほんまに甘えん坊でかわいいねん」、と優しくほほ笑む厩舎スタッフの方々の姿を知っているからこそ、別れが訪れた時のことを思うと胸をギュッとつかまれるような思いになる。四六時中、真正面から一頭一頭と向き合っている方の気持ちを完全に理解しているなんて、口が裂けても言うことはできないが、きらびやかな世界の裏にある、たくさんの人の思いを一人でも多くの人に伝えたい。
10日に阪神競馬場で行われた
オリオンS。1番人気に支持されたのは、
菊花賞で7着に善戦した
マイネルラウレアだった。父
ゴールドシップ譲りの芦毛の馬体や、
若駒Sで見せた豪快な末脚に、多くのファンの人が魅了され、
菊花賞以来の実戦となった彼の走りを楽しみにしていた。
新馬勝ちをともに飾った
横山武史騎手を背に、後方からじっくり脚をためるいつもの
ラウレアの競馬。画面越しにレースを見ていた私は、ちょうど映像が切り替わるタイミングで
ラウレアを見失ってしまい、4コーナーに到達しても姿を現さない彼に、心の中がざわついた。
「何が何だかよく分からなかった」と、口にするのは担当する宮厩舎の荻須恭一郎助手。「ゲート裏からバスに乗って、検量室まで向かっていたから、レースを直接見ることができなくて、音だけ聞いていた。でも、検量室までに地下道を通るから、そこで1度音が途切れる。地下から出て、パッと3コーナーあたりを見ると、武史と痛そうにしている
ラウレアが立っていて、意味が分からなかった。本当に頭が真っ白だったね」。
普段、笑顔しか見たことがないと言っても過言じゃないくらい、常に明るく、ユーモアにあふれている荻須助手。それゆえ、いつもよりも1つ低い声のトーンで話す口ぶりから、その時の衝撃の大きさが感じ取れた。
血を流しながらも、
ラウレアは自分の力で馬運車に乗り込み、すぐさまレントゲンで容体を確認した。その瞬間獣医師の方から出た、「うわ……」という声を聞き、また不安が襲い掛かってきた。
下された診断結果は左第3中手骨の骨折。応急処置をして、栗東トレセンへ輸送された。10日の18時30分ごろから、11日の0時30分までの約6時間に及ぶ手術が行われた。X(旧ツイッター)には、
ラウレアの無事を願うファンの方々の、#
マイネルラウレア#手術成功、という文字であふれかえっていた。たくさんの人の思いが届いたのか、手術は無事成功。管骨の亀裂が入っている側面にプレートを入れ、10本のボルトで留めて患部を固定する大掛かりなものだった。
手術後に荻須助手が再会した
ラウレアは、痛々しく大きなギプスを巻いていて、脚をつくことができない状態だった。無事に手術が成功したとはいえ、油断のできない2週間が続く。
「本当に強い馬だよ。1週間くらいするとだいぶ元気になってきた。だけど、腸炎や脚に入れているプレートやボルトからの細菌感染のリスクがあった。僕、ストレスがたまると首や顎のリンパが痛くなるんよね。手術から、入院して1週間くらいはずっとそこがこれまで感じたことがないくらい、最大級に痛かった」。
いつ何が起きてもおかしくない不安の続く日々。荻須助手を支えたのは、ファンの方から届いた、
ラウレアの無事を願うお守り。そして、一通一通愛情のこもった手紙だった。
「全国各地からたくさん……びっくりしたよ。すごく辛かったけど、ファンのみなさんが応援してくれて、すごい励まされた。本当にありがとうございます」。
荻須助手から
ラウレアのすぐそばに、丁寧に並べられたたくさんのお守りや手紙の写真。そして、しっかりと自分の脚で立つ
ラウレアの写真が届いた。話すことのできない
ラウレアの気持ちを知ることはできないが、ファンの方々の強い愛は、
ラウレアと誰よりも長く時間を過ごす荻須助手へ。そして、
ラウレアを優しくなでる温かい手の温度から、きっと届いているだろう。
有馬記念当日の24日。無事に区切りの2週間を乗り越え、感染症のリスクはかなり軽減した。今後は1カ月の入院生活を経て、経過が順調なら放牧に出る予定だ。
「頑張ってくれているのは馬。なんとか精いっぱいサポートして、やれるだけのことはしたい」。荻須助手の言葉に力がこもる。記者としてまだまだ新人の私が、分かったようなことは言えないけれど、競馬が大好きな一ファンとして、「命懸けで走ってくれてありがとう」。レースに向かう全ての競走馬に敬意を持って、この言葉を伝えたい。(デイリースポーツ・小田穂乃実)
提供:デイリースポーツ