【競馬人生劇場・平松さとし】14日、京都競馬場で行われた
日経新春杯(G2)を勝ったのは
ブローザホーン。管理するのは中野栄治調教師。現在70歳で、来月末には定年による引退が決まっている大ベテランホースマンだ。
今の若いファンはご存じないかもしれないが、中野師は元騎手で、現役時代は「最も奇麗なフォームで乗る」と言われていた。実際、
JRAのCMにも彼の騎乗する姿が起用されたのだ。
そんな中野騎手といえばオールドファンには“ナカノコール”が思い浮かぶ。
1990年の
日本ダービー。東京競馬場には今でも1日の最多動員記録として残る19万6517人の大観衆が押し寄せた。中野騎手が騎乗したのは
アイネスフウジン。前年には朝日杯3歳S(G1、現
朝日杯フューチュリティS)を勝っていたが、前走の
皐月賞(G1)は1番人気を裏切る2着。ダービーでは3番人気と評価を下げていた。
しかし、中野騎手はスタートから果敢にハナを奪うとそのまま先頭でゴール。ウイニングランの際、競馬場を埋め尽くした大観衆から、日本競馬史上初のコールが起きた。これがいわゆる“ナカノコール”である。
さて、そんなダービー制覇には裏話があった。
皐月賞の敗因は逃げられなかったことであり、これについて中野師は次のように語った。
「発馬後に他馬にヨラれて、ひるんでしまいました」
そして、実はダービーでもその影響が残っていたと続けた。
「
皐月賞を覚えていたのか、ダービーの時も発馬直後にひるみました」
ところがそこで奇跡が起きたと言う。
「12番枠だったのですが、それが発馬機の継ぎ目にあたる部分で、11番枠との間が少し空いていたんです」
そのため、ひるんでいる間に他馬が前へ入ることなく済んだ。こうして先手を奪えたおかげで勝利をつかめたのだと、中野師は言った。
冒頭で記したように、中野師はこの2月で引退となる。日本の競馬史に名を刻んだ男がまた一人いなくなるのは残念でならない。今週を含めて残りの6週間の動向に注目したい。 (フリーライター)
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