東京競馬場では今週末の
フェブラリーステークスを皮切りに今年、計8つのGIレースが行われる。ビッグレースを観戦し終えて電車で家路に着く際、頭を悩ますのが駅の混雑だ。ときには改札内への入場が制限され、なかなか乗れないことも。「もう一つアクセス駅があったなら…」。
実は、今から約半世紀前となる1973年まではもう一つ、アクセス駅があったのである。その名も「東京競馬場前駅」。当時は国鉄中央線の支線にあたる下河原線(通称)が存在し、現在の京王線・府中競馬正門前駅、JR線・府中本町駅などに加えて、同駅も多くの競馬ファンの輸送を担った。
同線は国分寺駅を起点に途中、北府中駅を経由して東京競馬場前駅へ。開業は東京競馬場が開場した翌年にあたる1934年4月2日であり、今年で90年になる。なお、かつて南門にアクセスしていた西武多摩川線の是政駅は1922年、JR南武線の府中本町駅は1928年の開業。また、京王競馬場線はアクセス路線として最も後発で、1955年に全通している。
下河原線は1両の単行電車が行き来していたというが、競馬開催日には東京や新宿から5両程度の直通電車が乗り入れていたそうである。多くのファンを運んできた路線ではあったが、1973年をもって廃止。同路線に沿うように建設された武蔵野線に機能を譲り、東京競馬場へのアクセス駅は府中本町駅となった。
ちなみに、73年の競馬界を振り返ってみると、ちょうど“第一次競馬ブーム”の真っただ中。国民的
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日本ダービーも同年5月の東京競馬場。しかし廃止は4月1日であり、この時はすでにその役割を終えていた。
半世紀前の廃止。都市開発によって遺構、面影はおおよそ消えてしまったが、廃線跡の一部は下河原緑道という遊歩道・自転車道として整備されている。実際に北府中駅から歩いてみると、30分ほどでかつて東京競馬場前駅があった矢崎町防災公園(=写真)に着いた。駅跡の先にはJR線をくぐる地下道があり、さらに歩みを進めると、5分ほどで東京競馬場の西門に到着。かつては多くのファンが我先にと、駅から競馬場へと急いだのだろうか。
もし、今でも下河原線が残っていれば、東京駅などから直通列車が走り、中央線沿線のファンは便利になっていたかもしれない。アクセスは他の路線に譲ったが、東京競馬場の脇でひっそりとかつての繁栄を伝えている。