95年
東京新聞杯といえば、雪によるダート変更で、
グレード制導入以降、史上初めてG3の格付けが取り消された一戦として語り継がれている。
11頭立て。勝ったのは5番人気、7歳馬の
ゴールデンアイ。5歳時の
函館記念以来となる重賞2勝目。当時33歳の
田中剛騎手(現調教師)にとっては平地重賞初勝利。それまで障害重賞を7勝しており、待望の美酒となった。
しかし、
田中剛騎手に笑顔はなかった。「昨夜は考え込んでしまった。もう騎手を辞めようかと…」。
それは
東京新聞杯の前日、2月4日の東京5R、障害未勝利戦のことだった。
田中剛騎手は6番人気
ニューリーダー(柄崎義信厩舎)に騎乗したが、落馬で競走中止。そのあおりで
ジリオン(
柄崎孝厩舎=栗原洋一騎手)も落馬、競走中止となった。
ともに予後不良。
田中剛騎手は柄崎義厩舎所属だったが、師匠と、その息子である
柄崎孝師の馬を同時に予後不良にしてしまったと心を痛めた。
だから、4角10番手から馬群を割ってのごぼう抜きVにも
田中剛騎手には笑顔がなかったのだ。報道陣は「この勝利で少しは(無念の思いが)晴れたかな」という言葉を引き出すのが、やっとだった。
ゴールデンアイは
柄崎孝厩舎の所属だ。その
柄崎孝師にも笑顔はなかった。理由がある。
ゴールデンアイそっちのけで10着に敗れた
ホマレオーカンに言及したという。
「ダート変更なら
ホマレオーカンは当然、欧米のように“出走取消”を認めるべきですよ。ダートはつらいな、という馬でも馬券は売れてしまう。ダートを走る疲労度も計り知れないし、何より故障でもしたら…。競馬会と話し合って今後の課題としたい」。
ホマレオーカンは
サクラユタカオー産駒。それまで23戦したが全て芝だった。
柄崎孝師は当時、日本調教師会関東副本部長。ダート変更でも、格付け取り消しでも、管理馬を出走せざるを得なかった、他の調教師の思いを代弁したのだろう。
この日の東京は1R発走が11時に繰り下げられ、12競走全てがダートで行われた。ちなみに、同日の京都では、
きさらぎ賞。朝日杯3歳Sで
フジキセキに首差敗れた
スキーキャプテンが単勝1・0倍の1番人気。
武豊騎手に導かれ、見事人気に応えた。
スポニチ