とにかく「タフ」という言葉しか思い浮かばない。91年
共同通信杯(当時は
共同通信杯4歳S)を制した
イイデセゾンはデビューから数えて14戦目で同レースを勝った。
ここ5年の
共同通信杯勝ち馬が、何戦目で制したかを羅列すると、3、4、3、2、4戦目。時代が違うとはいえ、平均値の3倍以上の数字に単純に驚く。
新馬戦(ダート1000メートル)3着から翌週に連闘。当時は新馬戦に複数回、出走することが可能で、
イイデセゾンは実に3度、新馬戦に出走している。
初勝利は8戦目。この間、連闘が2度。中1週が3度。クラスが上がってからも中2週や中3週の競馬を続け、中京3歳S1着、
シンザン記念は2着。そしてついに
共同通信杯で重賞を射止めた。
その
共同通信杯。味のある競馬だった。10頭立てで1番人気はアイビーS、府中3歳S、
ホープフルS(当時オープン)と3連勝中の
サクラヤマトオー。
イイデセゾンは後方から2番手を追走。最後方の
シャコーグレイドと並ぶように走っていた。
迎えた4コーナー。
イイデセゾンの鞍上・田島良保は外に出さず、馬群突破に懸けた。逃げ粘る
ハイハーバーを徐々に追い詰める小島太・
サクラヤマトオー。残り20メートル付近でついに捉えたと思ったが、そこを外から風のように駆け抜けたのが
イイデセゾンだった。
「あんな乗り方で勝つなんて」とビデオを見て驚いた小島太。勝った田島良とは1965年春に騎手学校を卒業した同期だ。田島良は「うまくハマったね。とにかくうるさいので今後は気性面の成長が課題かな」と語った。
この
共同通信杯優勝でクラシック出走の賞金を得た
イイデセゾン。
皐月賞は勝った
トウカイテイオーから0秒4差の3着。ダービーも
トウカイテイオーから0秒7差の3着に奮闘した。
なお、この年の冠名「イイデ」(アールエスエーカントリ)は絶好調。ダービーには
イイデセゾン、
イイデシビア(9着)、
イイデサターン(12着)で3頭出しを果たした。全て大久保正陽厩舎所属。個人馬主のダービー3頭出しは、当時としても快挙だった。
スポニチ