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開業当初から手塚師支え続けた藤田オーナーの存在

スポニチ
  • 2024年02月09日(金) 05時05分
 【競馬人生劇場・平松さとし】フィエールマンなど、数々の名馬を育てた手塚貴久調教師=写真。しかし、1999年の開業当初から順風満帆だったわけではなかった。特に初勝利を挙げるまでには苦労をした。そんな時、助けてくれたのが藤田与志男オーナーだった。手塚師の父・佳彦氏は足利競馬の元名調教師だったが、当時、足利で馬を持っていたのが藤田氏。そんな縁から開業したばかりの手塚師を米国のセリに連れて行ってくれた。そして、その際、一つの約束を交わした。手塚師は言う。

 「“日本をたつ前に初勝利を挙げたらお祝いで1頭好きな馬を買って良い”と言っていただけました」

 そして、実際にセリより前に初勝利を記録したことで、買ってもらえたのがマルターズホークだった。マルターズホークは2000年の共同通信杯(G3)で3着するなど、活躍した。

 実績を残したことで藤田オーナーはその後も手塚師を米国に誘ってくれた。そんなある年のことだった。セリに上場される馬を引いていた男から、手塚師は声をかけられた。

「“タカだよな?”と言われ、見ると私が以前、米国で修業していた時に一緒に調教に乗っていた男でした」

 それを見ていた藤田オーナーはその男が引いていた馬を購入。それがマルターズホークの半弟シベリアンホークだった。

 「この馬もキャピタルS(03年、オープン)を勝つなど、活躍してくれました」

 ちなみにその日、手塚師はキャピタルSの行われた東京競馬場にはいなかった。理由は同じ日、京都で行われたアンドロメダSマルターズホークが出走しており、そちらに臨場していたからだった。

 「藤田オーナーは父みたいな存在で、亡くなられた時はショックでしたが、その後も奥さまが馬を預けてくださるなど、お世話になっています」

 藤田オーナーの助けもあって開業当初の苦しい時を乗り越えた手塚師のその後の活躍は枚挙にいとまがない。今週末の共同通信杯にもショーマンフリートを送り込む。注目したい。 (フリーライター)

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