09年の
フェブラリーSは好メンバーだった。1番人気は
カネヒキリ。屈腱炎を幹細胞移植手術によって克服し、
ジャパンCダート、
東京大賞典、
川崎記念を3連勝していた。2番人気は前年の覇者
ヴァーミリアン、3番人気は米国への長期遠征から帰国し、前走で準オープンを圧勝していた
カジノドライヴだった。
サクセスブロッケンは6番人気に過ぎなかったが、レコード(当時=1分34秒6)で勝ち切った。逃げる
エスポワールシチー、2番手
カジノドライヴを見ながら3番手を追走。直線を向き、エンジン点火に時間はかかったが、残り50メートルを切ったところで
カジノドライヴをかわして先頭でゴールに飛び込み、
内田博幸騎手の右腕が上がった。
デビュー戦からして派手だった。新馬戦(07年11月17日=福島2R)のVTRを見ることができる人は、ぜひゴール地点の実況まで聞いてほしい。
「
サクセスブロッケン、今、先頭でゴールイン」
(わずかに間があって)
「2番手は8番
クリノコブオー、今入線」
競馬実況に、これほどの間があるとは。
サクセスブロッケンの強さゆえだ。逃げて4コーナーでは後続を少し離し、直線で本格的に後続をちぎり捨てた。2着馬につけた差は何と3秒1。宙に浮くような美しいフォームに、将来はG1を勝つであろうと想像したファンは少なくなかったはずだ。
新馬戦からダートを4連勝。ここで陣営は1つのチャレンジを決める。芝のダービーへの挑戦だ。「オレが一番ワクワクしているかも」と当時、
藤原英昭師は語った。
「古馬になってから、いきなりG1で芝に挑戦では対応しきれないかもしれない。でも3歳春は人間でいえば高校生。血統(
父シンボリクリスエス)もフットワークも芝向き。対応できるはず」と期待を込めた。
結果を知る人も多いだろう。3番人気に支持されたが最下位18着。「オレの夢は終わりました。すみません、ダート馬でした。悪い方の勘が当たってしまった」と横山典は語った。藤原英師は「夢を追ったが…芝は駄目だった。今後はダート路線で」と話した。この後、
サクセスブロッケンが芝を走ることはなかった。
サクセスブロッケンといえば、スポーツ紙の人間なら鮮明に覚えていることがある。引退後、会社に来てくれたのだ。
東京競馬場の誘導馬へと転身した
サクセスブロッケン。13年5月、第80回ダービーをアピールするため、“ダービー特命宣伝部長”となってスポーツ紙各社を回って宣伝した。
現役時は最下位に敗れた因縁の一戦だが、宣伝部長となったのは出走歴があったからなのかもしれない。芝への挑戦は無駄ではなかった。その後、会社へとやってきた馬はいない。
弊社女子社員ら、初めて見る人に囲まれても動揺を見せなかった
サクセスブロッケン。さすがG1馬と感心したことを今でも覚えている。
スポニチ