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【追憶のフェブラリーS】09年Vのサクセスブロッケン “来社歴”ある唯一のG1馬

スポニチ
  • 2024年02月14日(水) 06時45分
 09年のフェブラリーSは好メンバーだった。1番人気はカネヒキリ。屈腱炎を幹細胞移植手術によって克服し、ジャパンCダート東京大賞典川崎記念を3連勝していた。2番人気は前年の覇者ヴァーミリアン、3番人気は米国への長期遠征から帰国し、前走で準オープンを圧勝していたカジノドライヴだった。

 サクセスブロッケンは6番人気に過ぎなかったが、レコード(当時=1分34秒6)で勝ち切った。逃げるエスポワールシチー、2番手カジノドライヴを見ながら3番手を追走。直線を向き、エンジン点火に時間はかかったが、残り50メートルを切ったところでカジノドライヴをかわして先頭でゴールに飛び込み、内田博幸騎手の右腕が上がった。

 デビュー戦からして派手だった。新馬戦(07年11月17日=福島2R)のVTRを見ることができる人は、ぜひゴール地点の実況まで聞いてほしい。

 「サクセスブロッケン、今、先頭でゴールイン」

(わずかに間があって)

 「2番手は8番クリノコブオー、今入線」

 競馬実況に、これほどの間があるとは。サクセスブロッケンの強さゆえだ。逃げて4コーナーでは後続を少し離し、直線で本格的に後続をちぎり捨てた。2着馬につけた差は何と3秒1。宙に浮くような美しいフォームに、将来はG1を勝つであろうと想像したファンは少なくなかったはずだ。

 新馬戦からダートを4連勝。ここで陣営は1つのチャレンジを決める。芝のダービーへの挑戦だ。「オレが一番ワクワクしているかも」と当時、藤原英昭師は語った。

 「古馬になってから、いきなりG1で芝に挑戦では対応しきれないかもしれない。でも3歳春は人間でいえば高校生。血統(父シンボリクリスエス)もフットワークも芝向き。対応できるはず」と期待を込めた。

 結果を知る人も多いだろう。3番人気に支持されたが最下位18着。「オレの夢は終わりました。すみません、ダート馬でした。悪い方の勘が当たってしまった」と横山典は語った。藤原英師は「夢を追ったが…芝は駄目だった。今後はダート路線で」と話した。この後、サクセスブロッケンが芝を走ることはなかった。

 サクセスブロッケンといえば、スポーツ紙の人間なら鮮明に覚えていることがある。引退後、会社に来てくれたのだ。

 東京競馬場の誘導馬へと転身したサクセスブロッケン。13年5月、第80回ダービーをアピールするため、“ダービー特命宣伝部長”となってスポーツ紙各社を回って宣伝した。

 現役時は最下位に敗れた因縁の一戦だが、宣伝部長となったのは出走歴があったからなのかもしれない。芝への挑戦は無駄ではなかった。その後、会社へとやってきた馬はいない。

 弊社女子社員ら、初めて見る人に囲まれても動揺を見せなかったサクセスブロッケン。さすがG1馬と感心したことを今でも覚えている。

スポニチ

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