人馬一体となった美しい騎乗フォームもついに見納め-。昨年12月に調教師試験に合格した
秋山真一郎騎手(45)=栗東・フリー=が、今週末で四半世紀を超えるジョッキー人生にピリオドを打つ。
飄々(ひょうひょう)としていて自然体、われわれ記者にも秋山さんを好きな人は多かった。取材をしていても、いい意味で“脱力系”。独特のリズムや受け答えに引き込まれた。本人は無意識だと思うが、発信する言葉の一つ一つが心に残るジョッキーだった。
あの日もそうだった。12年5月6日のNHKマイルC。東京に出張していた私は、
カレンブラックヒルの勝利原稿を担当した。デビュー16年目、55回目の挑戦でつかんだJRA・G1初制覇。レースの前後で感情を表に出すことが少ない秋山さんの目が潤んでいたように見えたので直撃すると、「泣いてやろうと思ったけど、うれし過ぎて泣かれへん」と返ってきた。味わい深いフレーズが胸に響いた。
検量室前の取材から記者席に戻り、原稿に取りかかるまでにパソコンと向き合って悩んだ。このコメントを、どう届ければ秋山さんの喜びが伝わるのか?思い切って1行目に持ってこようか、あえて後半がいいのか-。会社からのオーダーは11字詰め80行と関連雑観2本。この仕事量で原稿を書く時間より、書きだすまでの時間が長かったのは、私の記者人生でも数えるほどしかない。
レース前には、同じ平田厩舎の管理馬で、主戦として07年
オークス(2着)に挑んだ
ベッラレイアの話も取材させてもらっていた。クラシックで自身初の1番人気を背負い、「緊張した」とも。その経験を糧に1番人気の重圧をはねのけ、当時レース史上初となる逃げ切りを決めた姿には胸が熱くなり、“競馬は点ではなく線”と改めて勉強させてもらった。
秋山さんの1058勝中(2月18日終了現在)、師匠の故・野村彰彦元調教師(118勝)に次ぐ2位の55勝を挙げている平田師は「馬への当たりが柔らかいよな。(武)豊に近い感覚。減量時代に何度も重賞勝ったりしていたし、コイツ天才ちゃうかと思った。気が合ったのもあるけど、俺が石坂(正)厩舎にいた頃から開業したらウチの主戦はアイツと決めていたわ」と騎手としての能力を高く評価。「
ベッラレイアも
アンブロワーズも
グランデッツァも、片っ端からアイツを乗せた時期もあった。結果も出してくれたしね。
カレンブラックヒルではG1も勝って、
毎日王冠では
ジャスタウェイにも勝ったからな」と懐かしんだ。
その騎乗技術を買っていたのは平田師だけではない。秋山さんのレースには、関係者もファンもうなる印象的なものが多い。私が思い出すのが、音無厩舎の
サンライズベガ(6番人気)で制した11年
小倉大賞典。直線で1番人気の
リルダヴァル(3着)を外からふたしつつ、ここしかないというタイミングで追いだし、最後は9番人気
バトルバニヤン(2着)の猛追を封じた。3着まで鼻、首差の接戦を制すことができたのは、馬の力はもちろんだが、鞍上の手腕が大きかった。小倉の平地重賞完全制覇を果たしている秋山さんが、思い出の地でラス
トライド。個人的には、最後を飾るのにふさわしい場所だと感じる。
皆さんの記憶に残る“騎手・
秋山真一郎”はどのレースですか?そんなことを語り合いたいくらい、ジョッキーでなくなる事実に虚無感を感じていた私に、平田師はこんな話を教えてくれた。
「アイツは欲がないのが欠点やった。それが長所でもあったりするんやけどな…。ただな、ジョッキーの頃はそんなに自分から話す方ではなかったんやけど、調教師に受かってからはあれこれ聞いてくるようになったわ。頭がいいし、馬に無理をさせるようなヤツじゃないから、いい調教師になると思う。俺はさみしいとかないで。同僚になるみたいなもんやから」
ジョッキーとしての姿が見られるのは今週で最後だが、調教師としてはこれからがスタート。立場は変わっても“ホースマン・
秋山真一郎”は、必ず違った形で私たちを楽しませてくれるはずだ。(デイリースポーツ競馬担当・大西修平)
提供:デイリースポーツ