今週末で東西7人のトレーナーが競馬界から去る。騎手時代に
トウカイテイオーでダービーを制し、
ロードカナロアなど数々の名馬を育てた安田隆行調教師(70)=栗東=や、騎手として90年ダービー覇者
アイネスフウジンの馬上で19万人のナカノコールを浴びた中野栄治調教師(70)=美浦=らが、刻一刻と迫る最後の瞬間を前に、今の率直な胸の内を語った。
半世紀以上も競馬界を彩ってきた安田隆師。そんなホースマン人生もついに最終章を迎える。
騎手として
トウカイテイオーで91年
皐月賞&ダービーを制し、調教師としても“世界の
ロードカナロア”を管理。華々しい経歴ばかりに目が向くが、道のりは平たんではなかった。72年に騎手デビュー。1年目に12勝を挙げて新人賞を獲得したが、2年目に障害戦で落馬して脳挫傷を負った。5日もの間、意識不明に。そんな生死をさまよう大事故を乗り越えて半年後に復帰すると、小倉開催を中心に結果を残し始めた。「小倉で45週連続勝利もさせてもらいました。そこで“小倉の安田”なんて呼ばれるようになりましたね」とジョッキー時代を懐かしむ。
94年に調教師へ転身。国内外で数々のG1を制し、名トレーナーという立ち位置を確固たるものにした。「忘れられない馬は
ロードカナロアです。2回目の香港は鳥肌が立ちましたね」。当時、日本馬では歯が立たないと言われていた短距離王国・香港の地で、12&13年に
香港スプリントを連覇。日本馬の地位を大きく引き上げた存在だ。
名馬だけではなく、人を育てたのも大きな功績。今や世界を舞台に活躍する川田も、厩舎から巣立った一人。「彼の初勝利が安田厩舎の馬。あの時はうれしかった。この子ならやれるなと思ったので、1年でフリーに。彼の努力が一番だと思います」。師弟でG1を3勝。20年
ホープフルS(
ダノンザキッド)で川田が涙した姿は、多くのファンの心を打った。
「恵まれています。オーナーさんにもスタッフさんにも。素晴らしい調教師人生。ジョッキーとして680勝。できたら調教師でも680勝と思っていました」。しかし、積み上げた白星は目標を超え、地方、海外を含めて「996」。最後に大台到達も夢ではない。
ラストウイークは土曜中山11RオーシャンSに
ジュビリーヘッドを送り出し、日曜は思い出の小倉に臨場する予定だ。日本競馬界に確かな足跡を残した名伯楽の
グランドフィナーレから目が離せない。
提供:デイリースポーツ