最後まで多くの人々に愛された。50年余りのホースマン生活に終止符を打った中野調教師は、「18歳に(騎手)デビューして、競馬人生ってあっという間でしたね」と、穏やかな笑顔で振り返った。中山7R終了後に行われた花束贈呈式では、集まった関係者から期せずして「ナカノ・コール」が起こり、騎手時代の90年に
日本ダービーを
アイネスフウジンで逃げ切った記憶がよみがえった。
調教師としてのラストデーは、最初の中山2Rを
イーサンハンターで制して、手綱を執った
武豊がゴール後に左手で
ガッツポーズをつくった。「調教師席に向かってやりました。(定年解散の)中野厩舎に乗るということでプレッシャーはありました」とレジェンドが言えば、中野師は「僕とユタカとは、いい縁があったんだ」としみじみ。中山4Rも
ガビーズシスターで勝つなど2勝を挙げて、調教師としての
JRA通算勝利数を292(重賞8勝)まで伸ばした。
今後は後進の指導など、人を育てることに携わりたいという。「未練は何もないね」と、明るく笑った。(坂本 達洋)
スポーツ報知