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北沢伸也騎手が34年間の騎手人生にピリオド 阪神競馬場で引退式「悔いはありません」

  • 2024年03月09日(土) 17時32分
 3月9日、阪神競馬場で北沢伸也騎手の引退式が行われた。「最後に騎手仲間と集合写真が撮れたら、それでいいよ」と謙虚に話していたが、引退式には大勢のファンに加え、かつて一緒に障害レースを盛り上げた熊沢重文元騎手や植野貴也元騎手なども駆けつけた。

 決断を下したのは、昨年9月の調教中の落馬がきっかけだった。命に別状はなかったが、34年近く騎手を続けてきた中で「もう年だってことなのかな」と感じる症状があった。驚くほどキッパリとムチを置く決断ができたという。

「やれることは全てやりきりました。悔いはありません」

 清々しく言い切った。その騎手人生のスタート地点となったJRA競馬学校時代の映像が引退式冒頭で流れると、「わぁっ!」と照れて両手で顔を覆った。「髪の毛もなくなっちゃいました(笑)」と自虐するように、近年はスキンヘッドがトレードマークだったが、短髪で重賞レースを制した時の表彰式の映像も流れた。

 重賞は9勝(うちJ・GI 1勝)。障害リーディングに2度輝いた名手だが、障害レースに乗り始めたきっかけは、ジョッキーとしての意地だった。「1999年2月に所属厩舎が解散を控えていて、当時はほぼ自厩舎しか乗っていなくて『このままじゃいよいよ辞めなきゃいけなくなる』と思いました。でも、同期で最初に辞めるのも、重賞を勝てないまま何も残せずに引退するのも嫌でした。その頃、ちょうどエイユーダンボーという障害馬が自厩舎に転厩してきて、『障害に乗って、それでダメなら諦めよう』と思いました」

 それまでは「恐ろしいことをしている」と障害レースを見ていたが、いざ乗ってみると「意外といける」と奥深さにハマっていった。そうして02年阪神ジャンプSミレニアムスズカで勝ち、重賞初制覇。明るい性格で、取材ではレース中の細かな心境まで伝えてくれた。栗東トレセンの障害騎手が集まる部屋では北沢騎手を中心として騎手仲間が話の輪に加わり盛り上がることも多かったほか、大の将棋好きとしても知られた。

 後輩にはこうエールを送る。「若い騎手でもくすぶっていると思っている子がいたら、僕みたいな平地では鳴かず飛ばずだったジョッキーでもこうして引退式をしてもらえる騎手になるチャンスがあります。障害レースに挑戦してほしいです」

 6日からは新規開業の藤野健太厩舎で調教助手として働いている。引退式や阪神スプリングジャンプでプレゼンターを務めた後には、ファンの声援に丁寧に応えたいぶし銀は、今後、立場を変えてまたウイナーズサークルに戻ってくることだろう。

(取材・文:大恵陽子)

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