◆第84回
皐月賞・G1(4月14日、中山・芝2000メートル)
第84回
皐月賞・G1は14日、中山競馬場で行われる。76年ぶり史上3頭目の牝馬Vを狙う
レガレイラに注目。牝馬の優勝は1947年の
トキツカゼと48年の
ヒデヒカリのみ。吉田哲也編集委員は「思う」で、当時の社会情勢や競馬を取り巻く環境に迫った。
牝馬の
皐月賞制覇は戦後、間もない2例しかない。1947年の
トキツカゼと翌48年の
ヒデヒカリだ。当時のレース呼称は「農林省賞典」。
トキツカゼが生まれた44年は戦時中で、競馬開催は中止(能力検定競走として一部実施)。
ヒデヒカリが生まれた45年の軽種馬生産頭数は807頭で、現在の約10分の1だった。
日本
中央競馬会(
JRA)「
日本ダービー50年史」によると、競馬が再開されたのは1946年10月27日。1週後に日本国憲法が公布された。そんな時代である。競走体系は今とは大きく異なり、
桜花賞と
皐月賞は5月の東京、
日本ダービーは6月、
オークスは10〜11月の秋開催。東西の往来は少なく、牝馬であろうと、目の前にあるレースに積極的に出走させていた。
47年に戦後初の「
皐月賞」を優勝した
トキツカゼは、
日本ダービーにも参戦。惜しくも2着だったが、秋には
オークスを大差で制している。引退後は繁殖牝馬として55年のダービー馬
オートキツを送り出し、子孫には99年
オークス馬
ウメノファイバーの名も。日本競馬の歴史を紡ぐ一頭として、顕彰馬にも選出されている。
JRAが誕生し、クラシック体系が整備された1955年以降、牝馬の
皐月賞参戦は、わずか4頭。牝馬が春最大の目標を、まずはマイルの
桜花賞に置くのは当然といえる。それだけに早くから参戦を明言してきた
レガレイラ陣営の自信は相当なものだろう。(編集委員・吉田 哲也)
スポーツ報知