藤岡康太騎手(享年35)が10日夜、天国に旅立った。翌日の死去発表から一夜明けた金曜朝の栗東トレセンは深い悲しみに包まれた。友道師は「厳しいとは聞いていたけど、現実となると信じられません。調教に乗ってくれていたし毎日、会って話していたのに…。残念というか悔しいです」と受け止めきれない様子。
調教からチームの一員として厩舎を支えてきた。「調教の技術があって、うまく乗ってくれていたし感想も的確に返ってくる。本当に馬のことをよく分かっていました。最後に乗ってくれたのが
ジャスティンミラノ(14日の
皐月賞に出走)の1週前追い切りだったんじゃないかな。うちの厩舎の馬の調教にはほとんど乗ってくれていたし、ほとんどの勝利は彼のおかげ。競馬だけじゃなく、うちの厩舎に貢献してくれていました」
友道厩舎とのタッグで重賞制覇は13年
新潟大賞典(
パッションダンス)、18年
神戸新聞杯(
ワグネリアン)、21年
京都大賞典(
マカヒキ)の3勝。「
ワグネリアンは代打騎乗で結果も出してくれて、きっちり仕事をしてくれました。競馬に乗ってもらった時は勝っても負けても必ず電話してきて、こういうふうにした方がいいとかアド
バイスもしてくれて僕らも参考になっていましたね」と感謝した。
鞍上にとって2度目の
JRA・G1制覇だった昨年の
マイルCS(
ナミュール)。自宅で観戦していた友道師は「家のテレビでレースを見ていたんだけど、ゴール前は“康太”って声が出ましたね。うちの厩舎じゃない馬で声が出たのは初めて。LINEで“おめでとう”と伝えたら、うちの厩舎でも勝ちたいと言ってくれて。一緒にG1を勝てればと思っていたところだっただけに…」と悼んだ。
スポニチ