12日、東京競馬場2Rで行われた3歳未勝利(ダ1600m)で、
ウェットシーズン(牡3、美浦・
田中博康厩舎)が1着となり、前人未到の『
JRA通算4500勝』を達成した
武豊騎手。あまりに勝利が多くて大変だが、ここで節目の勝利を振り返ってみたい。
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JRA初勝利 1987年3月7日 4歳未勝利
ダイナビショップ1987年に競馬学校を卒業し、同年の3月から栗東の武田作十郎厩舎所属で騎手デビューした
武豊騎手。デビュー週に勝利することはできなかったが、翌週の阪神3Rで
ダイナビショップに騎乗して華麗な逃げで初勝利。デビュー年は69勝を挙げて新人最多勝記録を27年ぶりに更新するとともに、
JRA賞最多勝利新人騎手を受賞した。
■重賞初勝利 1987年10月11日
京都大賞典 トウカイローマン重賞初勝利はデビュー同年10月に
京都大賞典で
トウカイローマンで達成した。前走の
小倉記念では1番人気も5着。ここでは6番人気と人気を落としていたが、3年前の
オークス馬を見事エスコートしてデビュー年に重賞タイトルを手にした。
■GI初勝利 1988年11月6日
菊花賞 スーパークリーク初めてGIタイトルを手にしたのはデビュー2年目。
スーパークリークは獲得賞金順で出走資格19番目という状況だったが回避馬が出たことで出走可能に。3番人気で出走すると直線で大きく後続を引き離して5馬身差の勝利。初の
ビッグタイトルは史上最年少でのクラシック勝利、父・邦彦氏との
菊花賞親子制覇のおまけ付きだった。
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JRA通算500勝 1991年7月21日 4歳未勝利
ロイヤルタイム区切りとなる500勝を挙げたのはデビュー5年目。小倉で行われたダート1,000mの4歳未勝利戦で、この日の馬体重はプラス18kgだった
ロイヤルタイムを勝利に導いた。
■海外G1初勝利 1994年9月4日 ムーラン・ド・ロンシャン賞
スキーパラダイス92年に海外GIで初騎乗した
武豊騎手は、94年にはさらに様々な世界のビッグレースに騎乗している。そのなかで、同年の京王杯ス
プリングCでもタッグを組んで勝利を挙げていた
スキーパラダイスとともにフランスのロンシャン競馬場で行われたムーラン・ド・ロンシャン賞(芝1,600m)を制して海外にも
武豊の名を知らしめた。
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JRA通算900勝 1994年9月11日 朝日チャレンジC
ツルマルガール区切りとしては中途半端かもしれないが、この900勝達成が100勝単位で区切ったときに唯一重賞で決めた数字である。9月にスタンド改修のため中京競馬場で行われた朝日チャレンジCで
ツルマルガールを勝利に導き、メインレースで節目の勝利を挙げた。
ツルマルガールは後に04年の
安田記念を勝つ
ツルマルボーイ(父・
ダンスインザダーク)を生む。
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JRA通算1000勝 1995年7月23日 4歳未勝利
エールノコイビト900勝が唯一の重賞ならば、1000勝は唯一の父・邦彦調教師の管理馬で決めた勝利である。95年7月、500勝と同じく夏の小倉で
エールノコイビトを勝利に導き、父と共に節目の勝ち星を喜んだ。ちなみに
エールノコイビトは、24年の
阪急杯で2着に入った
アサカラキングの曾祖母である。
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JRA通算2000勝 2002年9月21日 3歳上500万下
ディスカバリーベイ2000勝を達成したのは、後に
ディープインパクトでもタッグを組む池江泰郎調教師の管理馬
ディスカバリーベイ。芝からダートに替わった1,200mのレースで逃げ切り大台に乗せた。
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JRA通算3000勝 2007年11月3日 2歳未勝利
スカイビューティー3000勝を達成したのは2000勝達成から5年後。京都競馬場で行われた2歳の未勝利戦で
スカイビューティーに騎乗した
武豊騎手は、好位から抜け出して勝利。ダート替わりで一発回答を決めて節目の勝利を決めた。ちなみにセレモニーで先日引退が報じられたオリビエ・ペリエ騎手が
武豊騎手にお祝いの口づけをしたのはこの時である。
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JRA通算4000勝 2018年9月29日 芦屋川特別
メイショウカズヒメ4000勝達成は11年後の18年。マジック「3」で迎えたこの日、すでに2勝を挙げて臨んだ準メインの芦屋川特別で
メイショウカズヒメに騎乗、2番手につけると直線に入って抜け出して勝利。400勝(
メイショウアギーラ)、3600勝(
メイショウインロウ)、3900勝(
メイショウヴォルガ)に続いて“メイ
ショウ”の勝負服で前人未到の記録を達成した。