福永家にとって
日本ダービーは大きな壁だった。天才騎手と言われた福永洋一さんは
日本ダービーに7回騎乗したが、78年の
カンパーリでの3着が最高着順。そして79年3月に落馬事故に遭い、30歳の若さで引退することとなった。その息子である今年3月に厩舎を開業した
福永祐一調教師も騎手時代、
日本ダービーを3勝しているが、初制覇までの道のりは非常に長いものだった。
洋一さんが引退した当時2歳だった祐一騎手は96年に騎手デビュー。3年目の98年には
皐月賞2着の
キングヘイローで
日本ダービーに初参戦。
スペシャルウィークに続く2番人気に支持されたが14着に大敗した。その後、12年には1番人気の
ワールドエースで4着。13年には
エピファネイアで挑んだが、
武豊騎手の
キズナにゴール寸前でかわされて2着。またも戴冠には届かなかった。
そして迎えたのが18年だった。パートナーは前年の東京スポーツ杯2歳S覇者の
ワグネリアン。前走の
皐月賞では1番人気に推されたものの、後方から外々を回る形となって7着。巻き返しを期した
日本ダービーだったが、不利とされる8枠17番も影響して5番人気。前走から一転、人気を落としての参戦となっていた。
しかし、結果的に外枠を引いたことで、祐一騎手の覚悟が決まった。掛かることを恐れず、強気に位置を取りにいく。道中は前に馬を置いて我慢。そして勝負の直線へ。ジワジワ伸びると、残り50mで
エポカドーロをかわして先頭に立ち、そのまま押し切り。実に19回目、父から数えると26回目の挑戦での
日本ダービー制覇だった。
その後、祐一騎手は20年に
コントレイル、21年に
シャフリヤールでも制し、
武豊騎手に次いで歴代2位の3勝を挙げた。トレーナーとして、今度は史上5人目となる
日本ダービーの騎手&調教師ダブル制覇を成し遂げてほしい。