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【思い出の日本ダービー】26回目の挑戦で“福永家の悲願”成就 不利な枠を乗り越えた福永祐一騎手の初制覇

  • 2024年05月17日(金) 07時30分
 福永家にとって日本ダービーは大きな壁だった。天才騎手と言われた福永洋一さんは日本ダービーに7回騎乗したが、78年のカンパーリでの3着が最高着順。そして79年3月に落馬事故に遭い、30歳の若さで引退することとなった。その息子である今年3月に厩舎を開業した福永祐一調教師も騎手時代、日本ダービーを3勝しているが、初制覇までの道のりは非常に長いものだった。

 洋一さんが引退した当時2歳だった祐一騎手は96年に騎手デビュー。3年目の98年には皐月賞2着のキングヘイロー日本ダービーに初参戦。スペシャルウィークに続く2番人気に支持されたが14着に大敗した。その後、12年には1番人気のワールドエースで4着。13年にはエピファネイアで挑んだが、武豊騎手キズナにゴール寸前でかわされて2着。またも戴冠には届かなかった。

 そして迎えたのが18年だった。パートナーは前年の東京スポーツ杯2歳S覇者のワグネリアン。前走の皐月賞では1番人気に推されたものの、後方から外々を回る形となって7着。巻き返しを期した日本ダービーだったが、不利とされる8枠17番も影響して5番人気。前走から一転、人気を落としての参戦となっていた。

 しかし、結果的に外枠を引いたことで、祐一騎手の覚悟が決まった。掛かることを恐れず、強気に位置を取りにいく。道中は前に馬を置いて我慢。そして勝負の直線へ。ジワジワ伸びると、残り50mでエポカドーロをかわして先頭に立ち、そのまま押し切り。実に19回目、父から数えると26回目の挑戦での日本ダービー制覇だった。

 その後、祐一騎手は20年にコントレイル、21年にシャフリヤールでも制し、武豊騎手に次いで歴代2位の3勝を挙げた。トレーナーとして、今度は史上5人目となる日本ダービーの騎手&調教師ダブル制覇を成し遂げてほしい。

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