11年の
日本ダービーは、とりわけ血統ファンにとって
エポックメーキングなレースだった。というのも、出走した全18頭が「
サンデーサイレンスの孫」だったからである。
ここで
サンデーサイレンスについて簡単に紹介しよう。86年生まれの米国産馬で、現役時代は14戦9勝。89年の米クラシックにおける「生涯最大のラ
イバル」
イージーゴア(EasyGoer)との激闘は広く知られている。
ケンタッキーダービー、
プリークネスSを連勝して2冠を達成。しかし、
ベルモントSでは宿敵に8馬身差の完敗を喫し、3冠には届かなかった。それでも
BCクラシックで再び
イージーゴアを破り、同年の米
年度代表馬に選ばれている。91年から日本で種牡馬となると、初年度産駒がデビューした翌年の95年から13年連続でリーディングサイアーを獲得。種牡馬に関する記録を次々と塗り替え、日本馬の血統の進化に大きく貢献した。
話を戻そう。11年の
日本ダービー、種牡馬別でみると、
ディープインパクトが4頭で最多だった。これに続くのが
アグネスタキオンと
ステイゴールドで3頭。以下、
ネオユニヴァースと
フジキセキが2頭、
ハーツクライと
マンハッタンカフェが1頭。そして母の
父サンデーサイレンスが2頭だった。量では
ディープインパクト産駒が優勢だったが、勝ったのは
ステイゴールド産駒の
オルフェーヴル。現役時代は遅咲きで、初勝利が
日本ダービーの翌週だった
父ステイゴールドに「ダービー馬の父」の称号をプレゼントした。
その後も
日本ダービーは
サンデーサイレンスの血が席巻し続けている。18年の
ワグネリアンから昨年の
タスティエーラまで、6年連続で
サンデーサイレンスの血を引く馬が勝利。今年も登録19頭中、外国産馬の
シンエンペラーを除く18頭が
サンデーサイレンスの子孫となっている。もし、
サンデーサイレンスが来日していなかったら…。日本の競馬がここまで発展していたことは考えづらく、全く違うものになっていたに違いない。