スマートフォン版へ

「連勝式馬券」が生まれた地 八王子競馬場を知っていますか?

  • 2024年06月04日(火) 17時30分
 エプソムCの当日に当たる9日(日)、東京競馬9Rで八王子特別が予定されている。昨年、のちの重賞馬セラフィックコールが勝った一戦は東京都南西部に位置する八王子市がレース名の由来。そんな全国有数の学園都市としても知られる同市には、かつて競馬場が存在した。今では売上の大半を占める「連勝式馬券」が、日本で初めて誕生した地でもある。

 2001年に発行された『大井競馬のあゆみ―特別区競馬組合50年史』(特別区競馬組合発行)によれば、1928年11月17日に八王子競馬は始まった。同時期にスタートした羽田競馬に続き、東京府内で2つ目の競馬場として開設。当初は現在の八王子市中野上町にあったが、規模と売上の拡大にともない、34年には同市内高倉町付近に移転した。新たな競馬場は総面積8万坪、1周1600m、コース幅は30m。いまの大井競馬場が1周1600m、幅25mなので、現在の規模と照らしても、遜色ない大きさのコースを持っていた。

 開催は順調に続き、羽田競馬が37年に廃止された後も八王子競馬は盛況を博した。戦中には鍛錬馬(いわゆる軍馬育成)による競馬も実施。そして戦後の間もない時期には、土地の権力者や馬主が勝手にルールをつくって行う“ヤミ競馬”も行われた。各地で開かれたヤミ競馬では、不正行為も横行して混乱もあったが、その中で八王子競馬が生んだ「フォーカス馬券」は業界に大きな影響を与えた。

 これは今でいう連勝式馬券のことで、当時は1〜6枠までを着順通りに当てる「枠番号連勝単式」で発売。この取り組みはファンからかなりの支持を集め、入場人員では全国の競馬場におよばないものの、売上額では全国一に上り詰めた。戦後で馬資源が乏しい時期。6頭立ての競馬では6種類の馬券しか売れないが、フォーカス式にすれば一気に種類を増やすことができる。何とか売上を伸ばすべく生まれたアイディアが、現在まで影響を与えているのだ。

 こうして急拡大した八王子競馬だが、その後は都心からのアクセスの悪さもあり、売上が低迷していく。1940年代後半には早くも移転問題が湧きおこり、50年には大井競馬場がオープン。八王子競馬は約20年の歴史に終止符を打った。

 跡地は八王子牧場となり、馬の育成、調教のほか、故障馬の休養を行う施設へと転換。54年に騎手講習所、62年には騎手学校が開設され、大井競馬ほか地方競馬を支えたが、こちらも長くは続かなかった。人口拡大で宅地造成地となり、65年には牧場も閉鎖。現在では住宅地や大学、高校になっており、様子は様変わりしている。今では遺構も残っていない。

 競馬場の終焉から70年、牧場の閉鎖から60年。いまでは八王子競馬のことを知っている人も少ないであろう。しかし、その歴史をたどってみると、日本競馬に大きな影響を与えた出来事が眠っていた。

みんなのコメント

ニュースコメントを表示するには、『コメント非表示』のチェックを外してください。

ミュート・コメント非表示の使い方
  • 非表示をクリックし「このユーザーの投稿を常に表示しない」を選択することで特定のユーザーのコメントを非表示にすることができます。(ミュート機能)
  • ※ミュート機能により非表示となった投稿は完全に見えなくなります。このため表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。なお、非表示にしたユーザーはマイページからご確認いただけます。
  • 『コメント非表示』にチェックを入れると、すべてのニュース記事においてコメント欄が非表示となります。
  • ※チェックを外すと再びコメント欄を見ることができます。
    ※ブラウザを切り替えた際に設定が引き継がれない場合がございます。

アクセスランキング

注目数ランキング

ニュースを探す

キーワードから探す