3冠、
有馬記念2勝、
宝塚記念、
凱旋門賞2着が2度…。改めて
オルフェーヴルの成績を振り返ると、それはもう、まばゆいばかりだが、決して順調でスムーズな勝利ばかりではなかった。
特に、4歳時の
宝塚記念は苦難の末に何とかつかみ取った勝利。表現的には矛盾するが、苦労したからこそ、
オルフェーヴルの地力の高さが浮き彫りとなった。
苦難の始まりは同年(12年)
阪神大賞典だ。
オルフェーヴルはスタート直後から折り合いを欠き、2角過ぎで先頭に立ってしまう。そして2周目3角手前で突然、外ラチ沿いへ逸走。2着まで盛り返したが平地調教再審査を課せられた。
この平地調教再審査が
オルフェーヴルにとってしんどかったことは想像に難くない。栗東E(ダート)コース(当時)に入り、レースと同じ馬装(この時はリングハミとメンコ)を着用し、池添騎手を背に、コースの真ん中を真っすぐに走った。
レースのようでレースでない。馬から見れば実に奇妙な、この平地調教再審査がどれだけ馬にとってストレスだったか。頭の中に「???」を重ねた
オルフェーヴルが
天皇賞・春で11着に失速したのも、ある意味、当然だった。
気持ちが乱れた
オルフェーヴル。心が落ちれば体調も落ちる。
宝塚記念への1週前登録こそ済ませたが、正式な
ゴーサインは出なかった。「トモの肉が物足りない。踏み込みにも強さがない。正直7割。時間が欲しい」。
池江泰寿師は絞り出すように語った。
それでも出走を決めた。
オルフェーヴルに気持ちの強さが戻っていたからだ。追い切りではゴール後に勢い余って右にモタれた。野獣のような雰囲気が出始めた。
レースでも気持ちの強さで突破した。外を回さず、イン突破に懸けた。ラ
イバルの間を力強く割って突進し、2馬身差、完勝した。
「やはり怪物。疑ってごめんなさい」。管理する池江師が最敬礼する、勝負根性にあふれた勝ちっぷりだった。
池添謙一騎手は泣いていた。
オルフェーヴルの首筋をなでると、頬を涙が伝った。「本当にきつかったが、本当に良かった。この馬が一番強いことを見せることができた」
天皇賞・春で11着に敗れた時、「池添、もう下りろ」という声が聞こえた。もうG1に乗ってはいけないのではないか。いや、騎手をやめた方がいいんじゃないか。池添騎手はそこまで思い詰めた。
だが、周囲の人々が懸命に励ました。思い直して放牧中の
オルフェーヴルに合いに行った。決してオルフェの状態は良くなかったが、馬も励ましてくれたような気がした。
その後、2度の
凱旋門賞で池添騎手が騎乗する夢はかなわなかったが、ラストランの
有馬記念では池添騎手が乗って8馬身差の圧勝劇を披露した。苦労の末に劇的に勝つ。やはり
オルフェーヴルの背には
池添謙一の姿が最も似合っていた。
スポニチ