ソダシがクラシック競走(
桜花賞)を制し、
ママコチャが
スプリンターズSを優勝。
メイケイエールは重賞6勝を挙げるなど、今やコンスタントに強豪を出す血統として認識されている“白毛一族”。
だが、白毛馬が世に出始めた頃は「白毛は走らない」「体質が弱い」と思われていた。今となっては信じられないことだが…。
日本の競馬において初めて勝利を挙げた白毛馬は97年に大井で1着をマークした
ハクホウクンだが、そこまでに出走していた3頭の白毛馬は全て勝てず。
ハクホウクンも重賞で好勝負するようなレベルには行けなかった。
JRAにおける白毛のはしりは
サンデーサイレンス産駒の
シラユキヒメだ。父は青鹿毛。
母ウェイブウインドは鹿毛。白毛として生まれたのは突然変異によるものだった。
シラユキヒメは非常に話題になったが、体質の弱さからデビューが5歳の2月と遅れに遅れ、9戦未勝利で牧場へと戻っていった。「体質が弱い」「走らない」というレッテルをはがすことはできなかった。
だが、
シラユキヒメを所有する金子真人オーナーの執念はすさまじかった。
クロフネ、
キングカメハメハと当時トップクラスの種牡馬を
シラユキヒメに配合し続けた。
すると産駒が次々と走り出す。
クロフネ産駒の
ホワイトベッセルが07年に白毛馬
JRA初勝利をマーク。同じく
クロフネ産駒の
ユキチャンがダートの
関東オークス(川崎)を制し、重賞初制覇を飾った。
そして白毛一族はついに
JRA重賞を制するに至る。それが
ハヤヤッコ。
シラユキヒメの子
マシュマロ(牝、
父クロフネ)に
キングカメハメハを配合して生まれた牡馬だった。
19年
レパードS。出走への抽選(10分の8)を突破してゲートイン。早めに新潟入りしていた効果もあって道中も落ち着き払って進み、直線を迎えた。
いち早く抜け出した1番人気
デルマルーヴル。そこに外から真っ白な馬体がグイグイと迫った。場内の歓声はG3とは思えないほど。首差捉えて
ハヤヤッコが優勝。場内は「歴史的な瞬間を目撃した」という独特の雰囲気に包まれた。
実はこの年の
レパードSは「
ディープインパクト追悼競走」として行われた。同年7月30日に急死した
ディープインパクトを悼んでのものだが、そこを勝ったのが同じ金子氏の勝負服である
ハヤヤッコ。こんな一致があるのか。奇跡としか言いようがない。
今、白毛馬を見て「体質が弱い」「走らない」と決めつける人はどこにもいない。そんな先入観を払拭したのは、全て金子真人オーナーの執念によるものだ。
シラユキヒメの可能性を信じ、大種牡馬を配合し続けて、いわば「
シラユキヒメ系」の強豪ファミリーをつくり上げてしまった。この
ハヤヤッコの1勝が進撃ののろしとなり、せきを切ったように白毛一族は重賞をコンスタントに勝つようになっていく。
スポニチ