競馬場のマークシートで馬券購入をするとき、必ず必要なものがある。それは鉛筆である。多くの競馬場には、「ペグシル」という緑色の簡易鉛筆がここぞと置かれているが、それはなぜ置かれるようになり、誕生にはどんな苦労があったのだろうか。製造する岡屋株式会社(本社・大阪市)の井尻和子社長に話を伺うと、そこには過去の苦悩と会社の運命を変えた出会いがあった。
後楽園場外馬券発売所で馬券の自動発売機の本格運用が開始された1975年、前年から開発を進めていたペグシル一本で岡屋株式会社は産声を上げた。開発当初は事務所にて手作業で作っていたというペグシル。現社長の夫である保宏氏と二人三脚で試行錯誤の日々だった。「手作業で製造するのはもちろん、全国の工場をまわって金型の試作を繰り返していた時期が、金銭的にも体力的にも大変でした」と井尻社長は振り返る。
そんなペグシル誕生のルーツは、競馬とは異なるスポーツにある。ゴルフが好きだったという2人。「ラウンド中にゴルフ仲間から『スコア記入用鉛筆が不便だから何か開発してくれないか?』と言われたのがきっかけ」と語る。そこでゴルフ場の売店で販売されている牛乳瓶についていた小さな栓抜きをヒントに、ゴルフ場のスコア記入用鉛筆として開発。名前もゴルフ用品であるグリーンフォーク(通称「ペグ」)と、鉛筆(英語で「ペンシル」)を一体化した商品というところからきている。
創業初期には、前述の開発部分に加えて営業活動も苦悩の日々だった。担当者はわずかに2人。「1人が全国のゴルフ場を車1台でまわり、もう1人が“代理店攻撃”で片っ端から営業。開発も大変だったが、それと同じくらい苦労がありました」と力を込める。今までにないアイディア商品を売り込むことは容易ではく、なかなか受注を増やせない状態が続くが、そんな状況を一変させたのが“競馬”だった。
JRAとの関わりは1986年ごろから。東京の営業担当が東京競馬場や中山競馬場へと飛び込みセールスをかけ、一般競争入札商品の中に入った。
その後、
JRAでの採用を機に営業先での知名度は大幅に向上し、受注もさらに増加した。井尻社長は「今日の岡屋があるのは
JRAさん、競馬があったからですよ」と思いを語る。さらに今や岡屋にとっての一大顧客とも言える“競馬”については、「テレビなどを通じて拝見していますが、今はファミリーが多くいい雰囲気ですね。改めてペグシルをご愛顧くださっている競馬ファンの皆様には感謝の気持ちしかありません」と続けた。
井尻社長は2018年に社長に就任。80歳を超えた今も社員の先頭に立ち続けている。元気に会社の舵取りを担える秘訣について聞くと、「くよくよせず、常に前向きでいることです」と力強い一言。競馬場に行った際は、“ペグシルで塗る夢と希望を託したマークシート”とともに、前向きにレースを楽しみたいものだ。