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【追憶の小倉記念】05年メイショウカイドウ 同一年“小倉3冠”愛し愛され引退式まで行われた小倉の鬼

スポニチ
  • 2024年08月07日(水) 11時01分
 小倉記念(今年は中京開催ではあるが…)といえばメイショウカイドウである。某検索エンジンで「メイショウカイドウ」と打つと「小倉の鬼」という連想ワードが出るほどだ。

 04、05年と連覇。のみならず、05年には小倉大賞典北九州記念も制しており、小倉記念を勝った翌朝のスポーツ紙には「史上初!同一年小倉3冠制覇」の文字が躍った。小倉競馬に3冠があったのかと苦笑したが、見出しになりそうな事象には迷わず食いつくのがスポーツ紙の使命だ。

 その05年小倉記念。すでに重賞3勝をマークしていたためハンデは58・5キロ。しかし、そんなことは関係なくメイショウカイドウは“ホーム”で躍動した。

 道中は中団からやや後方。3角過ぎから大外をマクリ気味に上昇し、直線を向いてエンジン全開。残り150メートルで先頭に立つと、そこからググッと伸びて快勝。ゴールの数完歩前から武豊の右腕が上がっていた。

 タイムは1分58秒0。堂々たる当時のコースレコードだった。トップハンデでマークしたこのタイムにも驚きなのに、坂口正大師のコメントに報道陣は腰を抜かした。「実はレース中に右前脚を落鉄しておりまして…」。衝撃の小倉通算8勝目となった。

 なぜ小倉になると走るのか。坂口大師は「夏場に走るからではないかな。太りやすい体質だから絞れていいのでしょう」と説明した。だが、それでは2月の小倉大賞典を勝った説明ができない。

 武豊騎手はこう言った。「なぜなのか分からないよね。馬に聞いてみたい。でも、このコースだと安心して走れる。今日も馬場のいいところさえ通れば大丈夫だと思っていたんだ」

 小倉になるとメイショウカイドウが上機嫌で走る感じが伝わってくる。まさか、出張の多いサラリーマンのように「九州は食べ物がうまいから」というわけでもないだろう。口にするカイバは栗東と同じだろうから…。そんなつまらないことまで考えてしまうほどの“小倉の鬼”ぶりだ。

 「小倉にG1ができないものかねえ」。坂口大師が、こう漏らしたことがある。栗東きっての理論派にも、そんな非現実的な妄想をさせてしまう。そこがメイショウカイドウの魅力であり、面白さだった。

 引退後は小倉競馬場の誘導馬となり、小倉競馬を盛り上げた。驚いたのは14年夏。小倉競馬を盛り上げるイベントがJR博多駅で行われた際、当時15歳のメイショウカイドウが登場したのだ。カメラの放列にも堂々たるたたずまい。さすがの鬼ぶりだった。

 そして、17年8月の誘導馬引退に際しては、超異例の「引退式」まで行われた。小倉を愛し、小倉に愛されたメイショウカイドウ武豊は「僕の騎手キャリアの中でも大事な1頭です」と話していた。

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