JRAは10日、デビュー3年目の角田大河騎手=栗東・石橋=が死去したことを発表した。21歳だった。未来ある若手ジョッキーの早過ぎる死-。担当記者がその人柄を明かした。
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ジョッキーとして2年5カ月。21年の短い生涯だった。角田大河騎手の訃報にただ驚きしかない。記者の息子と誕生日が1カ月違いの同い年。親目線で彼を追っていた。
父・晃一師は馬と無縁の鳥取県で生まれ育った。動物好きで体を動かすのが得意。好きなことをやらせたい-。そんな父が取り寄せた願書をきっかけに競馬の道を歩み、G1ジョッキーになった。
父と違い、馬と縁の深い環境で育った大河だが、小学1年生で始めた乗馬も最初は騎手になりたいからではなかった。「周りに目指す子がいてやってみようと思った」。同級生の
今村聖奈、
大久保友雅らに刺激を受け、選んだ道だった。「ジョッキーになれ、と言ったことはない。大けがをするのは自分。周りにも迷惑が掛かるし、“中途半端ならやるな”と言ったこともある」と晃一師。華やかさの陰にある厳しさを常に教えていた。
デビューは鮮烈だった。初騎乗初勝利からの2連勝は競馬学校創設以降2例目で、元騎手の福永師以来26年ぶりの快挙だ。8頭に騎乗したデビュー週は2勝、2着1回、3着2回と上出来。それでも、「取りこぼしたレースもあり、新人らしいミスもありました。一刻も早く正していきたい」と自己分析力と自分に厳しい一面を垣間見せた。
「好きなことを一生、仕事にできるのは幸せなこと」。晃一師の言葉だ。昨年5月の通信機器の不適切使用に続き、車で函館競馬場の芝を走った“奇行”。真面目な彼がなぜ…。ストレスに押しつぶされ、好きな仕事を幸せに思えなくなったのだろうか。「自殺かどうか不明であり、本会としてはお答えする立場にない」とJRAだが、何があったのか。弱冠21歳。失敗しても、やり直しは利いたはずだ。(デイリースポーツ
中央競馬担当・井上達也)
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