きょう23日(金)に決勝戦が行われる夏の全国高校野球において、話題を呼んだのが大社高校(島根)の戦いぶり。準々決勝で神村学園(鹿児島)に惜しくも敗れたが、報徳学園(兵庫)や早稲田実業(西東京)ら優勝経験校を破り、8強入りを果たした。
同校が全国高校野球選手権大会で2勝を挙げたのは、今から107年前に杵築中学として出場して以来。今月1日に開場100周年を迎えた甲子園球場が完成する前の1917年のことで、当時は鳴尾競馬場のコース内側に存在した鳴尾野球場が舞台だった。
JRAの重賞競走・
鳴尾記念に名を残す同競馬場は、現在の武庫川女子大学付属中学校・高等学校が存在する場所に位置。日本高校野球連盟(高野連)の公式サイトによれば、それまで豊中野球場で選手権は行われていたが、観客の増加によって受け入れが困難となり、代替地に選ばれたのが鳴尾競馬場であったという。
阪神電鉄がコース内側の広大な空き地を借用し、14年から翌々年にかけて、野球場2面や、陸上競技場、
テニスコート、プールなどを整備。厳しい運営状況に陥っていた競馬場を、多くの人びとが利用できる総合施設として活用した。
だが、鳴尾も次第に手狭となり、7年後の23年には選手権大会としての使用を終了。24年に甲子園球場が開場、同年から舞台を移している。鳴尾競馬場は37年に阪神競馬場へ改称されたが、43年に太平洋戦争激化のあおりを受け閉場。終戦後も当地で競馬が再開されることはなく、49年に現在の宝塚市に新設された現・阪神競馬場に移して今にいたる。
今夏も熱戦続きで、多くの人々の心を揺さぶり続ける高校野球。日本のスポーツシーンを彩るビッグイ
ベントは、意外にも競馬と同じ舞台が関わっていた。今後、「鳴尾」の二文字を見たときは、そんなことにも思いを馳せてみたい。