土曜日の中山9Rには、数少ないダート長距離戦の
松戸特別(3歳上・2勝クラス・ダ2400m)が予定されている。レース名の由来となった松戸市は、千葉県北西部に位置し人口約50万人を誇る大都市。東京の都心から約20kmの距離にあり、首都圏の住宅都市として発展した同市にかつては競馬場が存在したことを知る人は少ない。
松戸駅の東口から高台に向かい、歩み進めること7、8分。現在の松戸中央公園や聖徳大学があるあたりに松戸競馬場はあった。開場は1907年。政府から軍馬育成を目的として、馬券発売黙許が通達された翌年のことで、各地で競馬熱や機運が高まっている最中だった。当地は上野や東京からもほど近く、駅からもわずかで交通の便は良好。台地にあったため、場内からの見晴らしも素晴らしかったそうだ。
だが、そんな松戸競馬場は馬場に大きな欠陥を抱えていた。実際に跡地を歩いてみると、思いのほか敷地が狭く感じる。それもそのはず、既定の距離(1周1マイルといわれる)を確保するため、コースは右に左に激しく湾曲。起伏も激しかったようで、レースでは落馬事故が頻発していた。そのような事情もあり、当地での競馬は短命に終わる。日本陸軍が工兵学校を作るため、1919年に土地を買収。松戸競馬は県内の中山村に移転し、のち中山競馬場へと生まれ変わっていく。
第二次世界大戦の終戦後、周囲の環境は目まぐるしく変わり、駅前には商店や大型店舗が数多く並ぶ。競馬場の跡地には公園や学校などが置かれ、遺構はまったく残っていない。だが、松戸中央公園の入り口には、1920年に造られた工兵学校の正門門柱が残っており、その脇に設置された説明書きに「松戸競馬場(船橋市・中山競馬場の前身)」との記述が見られる。ここには確かに競馬場があったのだ。
数が少ないからこそファンの記憶に残るダート長距離戦。その「
松戸特別」の松戸には、競馬との深い歴史が詰まっていた。