突然の訃報に声が出た。9月12日に疝痛のため、22歳で旅立った
ヴァーミリアンのことだ。今年の6月9日に、けい養されていたノーザンホースパークのイ
ベントで函館競馬場に来ていた時に、私は
JRAとノーザンホースパークの許可をいただき、
ヴァーミリアンの動画撮影と取材をさせてもらった(よろしければ馬トクYouTubeをご覧ください)。ほんの3か月前。すごく元気に動き回っている姿を覚えているだけに、ただただ驚いた。現役時を知らない若いファンも、知っているオールドファンも、写真撮影では皆が笑顔。本当に愛されている様子が伝わっていた。
1999年の
凱旋門賞で惜しくも2着に敗れた
エルコンドルパサーの代表産駒で、04年のラジオたんぱ杯2歳S(当時の表記)で初重賞制覇。芝のクラシック路線を期待されたが、05年の
皐月賞では12着と大敗してしまった。
不振が続き、初のダート戦となった同年10月の
エニフSの出走時、当時競馬ファンだった記者は「ダートに替わったからと言って走るかな?」と思っていた。3番人気だったのも、多くのファンがやや半信半疑だったこともあったと思う。結果は鼻差での勝利だったのだが、これをきっかけにダートで3戦3勝の父の血が開花。その後の快進撃は皆さんが知っている通り。07年の
ジャパンCダート、07〜09年の
JBCクラシック3連覇など、ダート界で輝きを放った。8歳で最後の勝利となった10年の
川崎記念では、逃げた
フリオーソとの激しい一騎打ちだったことを覚えている。
実際に
ヴァーミリアンを近くで見ると、黒光りしてまだまだ若さを感じる馬体を保っている一方で、優しいまなざしで空をのんびりと見つめる姿に、幸せな余生を送っていることがすぐに分かった。撮影中も、現役時代の勝負強い走りが自然と脳裏に思い出された。
馬の疝痛は本当に怖い。腸が長いため、位置が変わりやすいことや、内容物がたまりやすいことから疝痛を起こしやすい。実際に、
ヴァーミリアンも前日は元気だったそうだ。
もっと長く生きて欲しかったし、今度はノーザンホースパークに会いに行こうと思っていたから実に悲しい。これまで本当におつかれさまでした。あなたが積み重ねたG1級レース9勝の功績は、私や多くの競馬ファンの胸に残り続けます。(
中央競馬担当・山下 優)
スポーツ報知