今年の夏はオリンピック、パラリンピックに沸いた“花の都”パリ。今週の日曜日は
凱旋門賞(3歳上牡牝・仏G1・芝2400m)がパリロンシャン競馬場で行われ、再び世界から注目を集めることになりそうだ。
凱旋門賞は"世界最高峰の戦い"と称されるがその起源は、そして日本馬の戦歴は。秋のパリを彩るビッグイ
ベントを前に調べてみた。
凱旋門賞の歴史は100年を超える。創設は1920年で第一次世界大戦におけるフランスの戦勝記念と、戦時下で衰退した競馬界の再生を掲げてスタート。途中39年と40年は第2次世界大戦のため中止となったが、今年で第103回を数える長い歴史を持つレースだ。創設当時は春のパリ大賞が高い評価を受けていたが、こちらは3歳限定戦。また、秋にあった古馬混合のコンセイユミュニシパル賞は、過去の実績によって斤量が決まる別定戦で、どちらも真の王者を決める舞台とは言えず、ならばと新設された競走こそ、
凱旋門賞であった。
当初はパリ大賞の半分程度の優勝賞金だったが、1950年代以降、国際的にも徐々に高い評価を得ていく。それにあわせて賞金も引き上げられ、現在では1着賞金が約4億5000万円、総額で約8億円にもなり、ヨーロッパでは最大の金額。世界的に高額といわれる日本のGIレースと比較しても遜色ない。ちなみにレース名の凱旋門は、パリの
ランドマークの一つである
エトワール凱旋門のこと。優勝トロフィーもそれにちなみ
エトワール凱旋門をかたどったものが勝者に与えられる。
そんな優勝トロフィーの獲得は日本のホースマンにとって“悲願”といえよう。これまで日本馬は延べ34頭が挑み、99年
エルコンドルパサー、10年
ナカヤマフェスタ、12年・13年
オルフェーヴルの2着が最高。69年に
スピードシンボリが初挑戦してから、半世紀以上が経過したが、現在も勝ち馬は生まれていない。
今年、日本からは
シンエンペラー(牡3、栗東・
矢作芳人厩舎)と
坂井瑠星騎手、また前走でベルリン大賞(独G1)を圧勝した
アルリファー(
Al Riffa、牡4、愛・J.オブライエン厩舎)は
武豊騎手を背に挑むこととなっている。馬券発売が行われるようになる前から、地上波でレースの模様が生中継されるなど、ある種の“国民的行事”になっているが、果たして歴史的瞬間は訪れるのか。発走のときは刻々と迫っている。