これまでに数え切れないほどの記録を打ち立ててきた
武豊騎手だが、GI初制覇は実に36年前、88年の
菊花賞だった。このときに打ち立てたGIの最年少勝利記録はいまだ破られていない。
スーパークリークで人馬揃って初の
ビッグタイトル獲得となった懐かしの一戦を振り返る。
88年の牡馬クラシック戦線は混迷を極め、
日本ダービーは1番人気が5.7倍(
サッカーボーイ)というまさに「戦国ダービー」。しかし、最終戦の
菊花賞も
サッカーボーイ、
サクラチヨノオーという世代を代表する両輪が不在の状況で行われた。
そうしたなか、
皐月賞の1&2着馬、
ヤエノムテキと
ディクターランドに続く、単勝8.5倍の3番人気に推されたのがすい星のように現れた
スーパークリークだった。手綱を執ったのは、前年に新人騎手の最多勝利記録を更新し、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで勝利を重ねていた
武豊騎手。
初騎乗は、デビュー5戦目の
すみれ賞だった。ここを勝つと、
日本ダービー出走を目指して
青葉賞を目標に据えたが、左前脚を骨折。秋に備えて休養することとなる。そして迎えた秋初戦の
神戸新聞杯は3着。続く
京都新聞杯で5着以内に与えられる優先出走権獲得を目指したが、道中のアク
シデントが堪えて6着に敗退。
菊花賞は18頭のフルゲートに対し、出走決定順が19番目タイという状況に陥った。しかし、直前になって賞金上位組が回避。幸運にもゲートインが叶ったのである。
道中は凝縮した馬群の中団を追走。坂の下りで前に取り付くと、直線では最内へ。一瞬で先頭に立つと、大接戦の2着争いを5馬身も突き放す大楽勝。
武豊騎手は10回目の挑戦にしてGI初制覇を果たしたのだった。
13年の
菊花賞の
JRAのCMでは「天才を天才にした馬」と称された
スーパークリーク。種牡馬としては後継を出せずに終わったため、その血を引く馬は残り僅か。それでも、若き天才を栄光に導いた雄姿は、いつまでも語り継がれるに違いない。
※内容に一部誤りがございました。訂正のうえ、お詫び申し上げます。