JRAの藤田菜七子騎手(27=美浦・根本)が
JRAに引退届を提出したことが分かった。11日、師匠の
根本康広師が明らかにした。
16年3月デビュー。16年ぶりに
中央競馬に誕生した女性騎手として注目を集め、後進の女性騎手を次々と誕生させるきっかけとなる活躍を見せたが、8年半の騎手人生に電撃的に幕を下ろすこととなった。
きっかけは10日に
JRAが発表した、調整ルーム居室内への通信機器(スマートフォン)持ち込みによる、騎乗停止にあったと言わざるを得ない。11日から裁定委員会の議定があるまで藤田は騎乗停止となった。
藤田が競馬界に残した功績は大きい。増沢由貴子(旧姓牧原)の引退で不在となっていた
JRA女性騎手。3年ぶりに誕生したのが藤田だった。
16年3月、まずは川崎競馬でデビュー。初勝利を前にG2の
スプリングS(
モウカッテル9着)に騎乗するなど周囲の
バックアップも手厚かった。3月24日の浦和3R(
アスキーコード)で初勝利。中央、地方通算36戦目だった。
JRA初勝利は4月10日の福島9R、
サニーデイズ。2番手追走から早めに仕掛けて押し切った。これが04年6月20日に牧原が勝って以来、約12年ぶりの
JRA女性騎手による
JRA白星となった。
飛躍したのは19年。
フェブラリーSで
JRA女性騎手として初めてG1に騎乗。
コパノキッキングで豪快に追い込んだが5着だった。しかし、この経験が生きる。10月2日の大井・
東京盃を
コパノキッキングで優勝。ダート
グレード競走を初めて制した
JRA女性騎手となった。
そして12月8日の中山G3
カペラS。ここも
コパノキッキングで快勝。
JRA女性騎手として初めて
JRAの平地重賞を制した。
藤田が競馬界に与えた影響は大きく、21年には
永島まなみ、
古川奈穂。22年には
今村聖奈。23年には
小林美駒、
河原田菜々。24年に
大江原比呂と女性騎手が次々と誕生するきっかけをつくった。UAE、マカオ、スウェーデン、英国、サウジアラビアなど、呼ばれれば海外に積極的に遠征した。
藤田が出てくるまでは「女性騎手に競馬は厳しい」という声がファン、関係者の間でも支配的だった。それを壊してみせたのが藤田だった。抜群のスタートセンス。美浦のある騎手は「菜七子を女性だから(騎乗ぶりが)ダメという目で見たことはない」と話した。
今年7月10日には、かねて交際していた
JRA職員と結婚することを発表。結婚後も登録名「藤田」のまま騎手生活を続けるとしていた。「結婚の時に“引退”は全く頭をよぎりませんでした。ジョッキーとして成し遂げていないことがたくさんあります。結婚を機に一層、競馬に精進したい」と話していたが、不本意な形で幕を下ろすこととなった。
スポニチ