JRAの藤田菜七子騎手(27=美浦・根本)が
JRAに引退届を提出したことが明らかになった11日、X(旧ツイッター)上では、関連ワード「厳重注意」がトレンド入りした。
「厳重注意」は、藤田騎手の師匠の
根本康広師のコメントの中にあったワードで、ネット上では「厳重注意処分、いつの処分?」「そんな処分出てたんですか?」「なぜ厳重注意なのかも分からないし、何で裁決委員会も開かれてないのに即刻引退するの?」「意味がわからないです…去年、以前に使ってたと報告して厳重注意処分も受けていたのなら、なんで改めての処分なんだろう?」「えっ、再度処分を受けたということですか…」などの声が上がっている。
根本師は11日朝、美浦トレセンで報道陣に対応し、以下のように語った。
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根本康広師の話
「このたびは、このような事態になってお騒がせしてしまい、誠に申し訳ありません。菜七子は今、人前に出て話ができる精神状態ではありません。(昨年5月の)若手騎手6人のスマホの件の時、菜七子は以前に、そういう通信機器を使っていたことを
JRAに自ら報告をしている。そして、その際に口頭で厳重注意を受けている。それが週刊誌の報道で、また処分を受ける形となってしまった。本人も納得がいかない部分があると思う。引退届は私の万年筆で大泣きしながら書いていた。もう、このサークルに戻ってくるつもりはないと思うが、競馬を嫌いになったり、馬を嫌いになったりしないでほしい。いつかは子供たちに馬を教えられるようになってほしい。辞めたくないよ、菜七子だって。あと2年で私も調教師としての定年を迎える、そこまでは一緒に頑張ろうと常々話をしていたのだから。菜七子とは娘のように接してきた。俺は死ぬまで泣きながら菜七子が引退届を書いていた姿を忘れない」
根本師と藤田は10日、トレセン内の根本厩舎で引退届を書いた。その際、2人は大泣きしたという。師の万年筆で引退届を書き終えると、藤田は師匠の胸で慟哭(どうこく)した。師も声を上げて泣き、別れたという。
◇藤田 菜七子(ふじた・ななこ)1997(平9)年8月9日生まれ、茨城県出身の27歳。競馬とは関係ない家庭に育つ。16年3月、美浦・
根本康広厩舎からデビュー。同年4月10日の福島9R(
サニーデイズ)で初勝利。19年、G3カペラS(
コパノキッキング)を制し
JRA重賞初勝利、同時に
JRA女性騎手による
JRA平地重賞初勝利をマーク。
JRA通算3897戦166勝(重賞1勝)。1メートル57、45キロ。血液型A。
スポニチ