JRAは11日、藤田菜七子(27)の騎手引退を発表した。藤田本人が騎手免許取り消しを申請し受理された。藤田は9日、過去に調整ルーム居室内で禁止されているスマートフォンで外部と通信していたことが発覚。
JRAから騎乗停止処分を受けた直後の電撃引退となった。16年のデビュー以来、数々の新記録を打ち立て、ファンも多かった女性騎手のパイオニアは不本意な、残念な結末でターフを去ることになった。
藤田は騎乗停止処分を受けた10日に、
JRAに対し引退届(騎手免許取り消し願い)を提出。女性騎手としての功績の大きさから、
JRA内部でも慰留する方針だったが、本人の強い決意もあり、翌11日に申請を受理し正式に引退が発表された。引退届には藤田の直筆で「一身上の都合」とだけ書かれていた。
9日に週刊文春が「藤田が23年4月以前に、通信機器の持ち込みが禁止されている調整ルーム居室内で複数の人物と連絡を取り合っていた」と報道。これを受けて
JRAは藤田本人への聞き取り調査を行い事実と認定し騎乗停止処分を下した。
JRAは昨年4月、若手騎手6人のスマホ不適切使用に際して、全騎手に対する事情聴取を実施。当時、藤田は「ツイッター(現X)、YouTubeの閲覧のみで外部との通信はしていない」と証言。当時の調査では外部と連絡した痕跡は見つからなかったため、騎乗停止などの重い処分までには至らず口頭での厳重注意にとどまった。
JRAの松窪隆一審判部長は「指導であり注意。施行規程上の処分ではない」とした。だが、今回の新たな調査でこれを虚偽報告だったと判断した。藤田の師匠である
根本康広調教師は「既に厳重注意を受けており“二重処分”ではないか」と主張したが、松窪部長は「本当はそういうこと(外部との通信)があった。虚偽の申告をしていたことが大きかった」と説明。過去の違反をさかのぼっての処分となった。
藤田は近年、ケガの影響などもあって成績が低迷。私生活では7月に
JRA職員との結婚を発表したが、一方で週刊誌などに度重なる直撃取材を受けるなど相当なストレスを抱えていたもよう。そんな状況に今回の騒動が重なり、心が折れてしまったことが引退決断につながったようだ。根本師は「大泣きをしながら私の万年筆で引退届を書いていた。悔しかったと思う。9年間一緒にやってきて初めてハグをしたよ。菜七子は頭を預けてずっと泣いていた」と涙をこぼした。
藤田は既に夫のいる宮崎に滞在。根本師は「本当は本人に謝罪させるべきだけど、今は人前で話ができる精神状態ではない。競馬を嫌いになったり、馬を嫌いになったりしないでほしい。いつかは子供たちに馬を教えられるように。今はゆっくりしてほしい」と親心をのぞかせた。藤田の女性騎手としての功績が色あせることはないが、あまりにも残念な引退劇となってしまった。
【スマホ騒動経緯】
▼23年4月まで 藤田が複数回にわたりスマホ不適切使用(外部と通信)。
▼同4月22日 今村、角田河元騎手(故人)が京都の認定調整ルーム(ホテル)で通話。
▼同4月23日 永島、河原田、小林美、古川奈が福島競馬場のジョッキールーム、今村が京都競馬場のジョッキールームでスマホ不適切使用。
▼同4月下旬
JRAが全騎手に聞き取り調査。藤田は「Twitter(現X)とYouTube閲覧に使用」と申告。
▼同5月3日 先の6騎手に30日間(開催10日間)の騎乗停止処分が科される。
▼24年5月24〜26日 水沼が美浦トレセン、および東京競馬場の調整ルームでスマホ不適切使用。
▼同7月10日 水沼に9カ月の騎乗停止処分が科される。
▼同9月27日 小林勝が美浦トレセンの調整ルームでスマホ不適切使用。
▼同10月5〜6日 永野が東京競馬場の調整ルームでスマホ不適切使用。
▼同10月7日 小林勝、永野に騎乗停止処分(期間未定)が科される。
▼同10月9日 週刊文春で藤田のスマホ不適切使用を報道。
JRAが藤田へ個別の聞き取り調査。藤田は他者との通信を認める。
▼同10月10日 藤田が騎手免許取り消し願いを
JRAに提出。
▼同10月11日 取り消し申請が受理され、
JRAより藤田の騎手引退が正式に発表される。
◇藤田 菜七子(ふじた・ななこ)1997年(平9)8月9日生まれ、茨城県出身の27歳。16年3月5日、美浦・
根本康広厩舎から
JRAデビュー。16年ぶりの
JRA女性騎手誕生で一大フィーバーを巻き起こした。19年に
コパノキッキングとのコンビで
JRA女性騎手によるG1初騎乗(19年
フェブラリーS5着)、
JRA重賞初勝利(19年カペラS)を達成。現在も女性騎手最多の通算166勝を挙げ、その後に多く誕生した女性騎手たちの指針となった。今年7月10日に自身のインスタグラムで
JRA職員との結婚を発表。1メートル57、45キロ。血液型A。
スポニチ