令和になってから競馬ファンになった人は、とても信じられないだろう。かつて、
京都新聞杯は秋に行われていた(99年まで)。そして秋の3歳牡馬(関西馬)が歩む路線といえば、
神戸新聞杯(9月中旬、阪神)→
京都新聞杯(10月中旬、京都)→
菊花賞(11月上旬、京都)が一般的だったのである。
つまり
菊花賞の関西
トライアルは2競走行われていたのだ。
菊花賞の日程が前倒しになり、
京都新聞杯が春で定着した今、もうかつての日程に戻ることはあり得ないが、この3競走を全て制覇した馬がいる。74年
キタノカチドキ、そして今回の主役、
マチカネフクキタルである。
マチカネフクキタルは11番人気で臨んだダービーで勝ち馬
サニーブライアンの7着。ごく普通の“単なる強豪”だった。それが夏の福島で3歳限定の1000万(現2勝クラス)特別を3馬身差つけて快勝すると、そこからめきめきと強くなった。
「もうね、ケツがパーンとしてね、凄いんだよ。人間もケツが大事よ。僕も鍛えてるもん。毎日、一生懸命、散歩してる」。二分久男師は話を聞きに行くと、椅子から立ち上がって右手で自らのお尻を叩き、いかに
マチカネフクキタルのトモが凄いかを説明してくれた。
神戸新聞杯では、のちに伝説となる
サイレンススズカの逃げを一刀両断に差し切った。
京都新聞杯では
メジロブライト、
ステイゴールドといった、のちのG1馬を寄せ付けなかった。
2つの
トライアルを快勝したのだから本番も断然の1番人気と思うだろう。それが違うのだ。
菊花賞、ふたを開けてみれば1番人気は
京都大賞典で名牝
ダンスパートナーを下した
シルクジャスティス。2番人気はダービー3着馬
メジロブライト。
マチカネフクキタルは3番人気に甘んじた。
父が短、中距離血統の
クリスタルグリッターズ。母の
父トウショウボーイも距離に限界があると思われていた。
トライアルを連勝したことで「さすがに
ピークは過ぎた」と思われたのかもしれない。
しかし、そんなこねくり回した予想を
マチカネフクキタルは気持ち良く吹き飛ばした。
レースは厳しいものとなった。5番手付近の好位につけたが、周囲をがっちりと囲まれ、過酷なプレッシャーにさらされた。おまけに中盤でペースがガクンと落ち、周囲のスピードが上がり始めた時にはインに押し込められ、動けなかった。位置を落として4角9番手。鞍上・南井克巳もスタンドで見ていた二分師も「これはまずい」と感じたという。
だが、
マチカネフクキタル自身は諦めていなかった。外から
メジロブライトが伸びかけた。そこに馬群を割って現れたのが赤と青のボーダーの勝負服。
マチカネフクキタルだった。南井の左ムチに応えて伸びる。1馬身差、完勝だった。
「いやあ、いい馬に巡り会えました。距離の不安を一掃できてうれしいね」。これが
ナリタブライアン以来、3年ぶりの
菊花賞制覇。南井の言葉が弾んだ。「よく我慢したよ。いい騎乗だった。まるで宙に浮いたような気分だね」。二分師の笑顔も最高だ。
かくして成し遂げられた
神戸新聞杯→
京都新聞杯→
菊花賞という3連勝の偉業。当時の新聞によれば、この3競走を全て勝つことを「3歳秋の
ハットトリック」と言っていたようだが…。全く記憶にない。
スポニチ