10月29日は「オートレース発祥の日」。オートレースとは日本の公営競技のひとつで、排気量600cc(新人は500cc)の二輪車をレーサーが巧みに操り着順を競う。現在は川口、伊勢崎、浜松、山陽、飯塚の5場で開催。そんな「オート」と「競馬」には過去に深いつながりがあった。
日本ダービーでクモノハナが勝利、のちの名伯楽・松田国英氏が生まれた1950年のこと、
船橋競馬場の“内馬場”に日本初のオートレース場が開設された。今では想像も付かないが、同じ敷地内に競馬、オートと2つの公営競技場があったのだ。51年には
園田競馬場内にも、園田オートレース場がオープン。同場は早くも52年に廃止され、甲子園オートに移転となったが、続いて54年には大井オートレース場が開かれる。
競馬場内での開催には異議を唱える声も多かった。01年に発行された『大井競馬のあゆみ―特別区競馬組合50年史』(特別区競馬組合発行)』によると、東京都馬主会、特別区競馬組合、東京都ジョッキークラブから大きな反対運動が起こったと記載がある。オートレースの騒音が競走馬に悪影響を与えることが主な理由だった。主催の東京都は厩舎との境界に防音壁を設置することや、競走車にマフラーを取り付けるなどの対策を約束。当初は馬場内にコースを建設する予定だったが、競馬場のホームストレッチ側に別の建物として建設された。
こうして苦労の末に始まった大井オートは、美濃部東京都知事が公営ギャンブルからの撤退を発表したため、73年3月22日をもって廃止される。跡地は現在、
大井競馬場の駐車場などになっており、面影はほとんど残っていない。また、船橋オートも騒音問題があったことや、通産省省令によってダート走路から舗装路への転換が求められていた点、なにより競馬とオート双方の開催日程に制約が生じていたことから、移転案が浮上。すぐ近隣の船橋
サーキット場跡地へと、68年に場所を移した。
船橋オートは長らく開催を続けてきたが、売上減少などにともない、16年3月末をもって歴史にピリオド。閉場後は
船橋競馬場の施設運営も行う株式会社よみうりランドが所有する場外車券売場「オートレースふなばし」(
サテライト船橋に併設)が開設され、競馬場のすぐ隣で営業している。そんな
船橋競馬場には「オートレース発祥の地」の文字が刻まれた石碑。ここには確かにエンジン音をとどろかせて熱戦が展開されていた。