「B
Cマイル・米G1」(11月2日、
デルマー)
ヴィクトリアMを制した
テンハッピーローズとともにB
Cマイルに挑む
津村明秀騎手(38)=美浦・フリー=にとって、米国競馬は憧れだった。デビュー2年目に1人で渡米して競馬を観戦したことがある。その時に思ったのは、「アメリカのジョッキーは格好いい」-。若手騎手の純粋な気持ちだった。それから18年後、自分が米国最高峰のレースに騎乗することになるとは夢にも思わなかっただろう。
海外での騎乗依頼。その話を聞いたときの心境を「興奮しました。まさか自分がブ
リーダーズカップの舞台に立つとは思ってもみませんでしたから」と振り返る。ただ、今回の騎乗は自然に身を委ねたものではない。津村のある行動が実を結んだものだと、私は思っている。
津村は騎手としてデビュー後はローカル競馬場を中心に乗り続け、14年目の17年にJRA年間51勝、18年にはキャリアハイとなる52勝を記録した。しかし心の中は満たされなかった。「ローカルの福島、新潟のメインレースが終わった後、テレビでG1レースを見ていて、悲しくなるというか、自分はここで何をしているのだろうと思った。G1を見るたびにそんな気持ちになりましたね」と当時の心境を語る。ローカル中心に乗り続け、ある程度の地位が確立されるところまできた。だが、騎手になってから抱き続けてきた“G1を勝ちたい”という気持ちは変わらなかった。
「メインの騎乗を中央場所へ移すことにしました。勝てなくなるだろうが、行かなければダメだと。中央で基盤をつくらないとG1に出走するような馬には巡り合えない。人気のない馬でもいいから大舞台に出るようにしなければならない。そう思いました」。その信念を貫いた結果、メインを中央に移してから5年後のヴィクトリアMで念願のG1制覇。「このままG1を勝てないと思ったこともありましたが、覚悟を決めてやったことなのでここまで突き進んで来ました。あの時の決断が間違いではなかったと思っています」。そして、この勝利が今回のB
Cマイル騎乗につながっていくことになる。
G1を勝ち、憧れの場所で騎乗するが、これがゴールだとは思っていない。「38歳は他のスポーツをみても目立った活躍ができなくなる年齢です。ただ今の僕は気持ち的に若いし、体も動く。ベテランと呼ばれるような年になったけど、これからが大事だと思っています。G1を勝ったことで、以前にも増してG1を勝ちたいという気持ちになった。今回のように海外も行きたいですね」。今は前だけを見ている。
大舞台で結果を出すことが簡単ではないことは津村自身が十分に分かっているし、順風だった道が今後、いばらの道になるかもしれない。ただ、その道を進むことを決めたのは自分だという覚悟を感じる。今回の米国遠征だけではなく、この先の彼の姿も見続けたい。(デイリースポーツ・小林正明)
提供:デイリースポーツ