日本競馬に革命を起こし、世界との距離を急速に縮めた
藤沢和雄元調教師。その栄光の歴史の出発点、最初のG1制覇となったのが、この
シンコウラブリイによる
マイルCS制覇だった。
アイルランドで生まれ、同地で育成され、頃合いを見て日本へ。当時、最先端のシステムで鍛え上げられた
カーリアン産駒の牝馬は、新馬戦で牡馬相手に4馬身差の圧勝を収め、まず度肝を抜いた。
3歳になって本格化すると、ニュージーランドT4歳S(当時)、ラジオたんぱ賞(同)、
クイーンS(当時は3歳限定)と重賞3連勝。その後はG1とG2で惜敗が続いたが、4歳夏から再び連勝街道を歩みだす。
札幌日経オープン、
毎日王冠、
スワンSと3連勝を決め、いよいよG1
マイルCSを迎えた。
レース前、陣営はこの一戦が引退レースであることを公言していた。ここまで重賞5勝。しかし、前年の
マイルCSが2着、4歳春の
安田記念が3着とG1には手が届いていなかった。関係者にとっては何が何でも欲しいタイトルだった。
この日の京都は朝から小雨模様だった。それでも芝は良馬場からスタート。しかし、
マイルCS出走各馬が装鞍所に集合した午後2時半頃、叩きつけるような豪雨が淀を襲った。芝は、やや重を経ることなく一気に重へ。そして
マイルCS前には不良馬場に。芝は泥田のようになり、返し馬で水しぶきが上がった。
「まずいな」。藤沢和師の表情がにわかに曇る。水を含んだ馬場への適性には自信があった。怖いのは不測の事故だ。
ゲートが開く。
シンコウラブリイも互角のスタートを決めた。スムーズに3番手のインにつける。岡部幸雄騎手(引退)は馬上でほくそ笑んでいた。「雨のおかげで馬群がタイトにならずバラけている。これは楽だ」
折り合いも楽についた。そして勝負どころ。内にいたはずの
シンコウラブリイはいつの間にか逃げ馬の外の3番手に。4角を絶好のポジションで迎えた。
残り150メートルで先頭に立つ。後方から突っ込んでくる馬はいない。完勝だった。「念願がかなってホッとしたよ。調教師に恩返しができたね」。岡部騎手は笑顔を見せた。
開業6年目。初のG1制覇となった藤沢和師もホッとした表情だ。「無事に最高の結果となって良かった。1番人気の責任が果たせましたよ」。15戦10勝、重賞6勝。獲得賞金5億3700万円は当時、牝馬における賞金レコードだった。
牧場に戻った
シンコウラブリイは当時の最高の種牡馬である
トニービンをつけられた。
ロードクロノスと名付けられたその初年度産駒は藤沢和厩舎に入って、いきなり重賞(
中京記念)を勝ち、母と藤沢和師の名声を高めた。
シンコウラブリイの活躍を受け、その
母ハッピートレイルズも輸入された。そこから
シンコウラブリイの妹
ハッピーパスが生まれ、その娘
チェッキーノを経て、21年に誕生したのが
チェルヴィニア。今年の
オークス、
秋華賞を制した強豪だ。
シンコウラブリイが日本競馬にまいた種は、着実に枝葉を広げ、令和となった今でも日本競馬をけん引している。
スポニチ