12年の
ステイヤーズSを制し、史上2頭目となる10歳馬の
JRA平地重賞制覇を成し遂げたのが
トウカイトリックだ。干支が1周した今年、個性派ステイヤーの軌跡を振り返る。
トウカイトリックは
父エルコンドルパサー、
母ズーナクア、母の
父Silver Hawkの血統。2歳8月に小倉でデビュー勝ち。3歳時の
神戸新聞杯で
ディープインパクトの7着、
福島記念で
グラスボンバーの2着になるなど、若い時から素質の片鱗を見せていた。ただ、本格化は古馬となってからだった。5歳時の
ダイヤモンドSで重賞初制覇。
天皇賞(春)では
メイショウサムソンからハナ+クビ差の3着に食い込むなど、中長距離重賞では欠かせない存在となっていった。
同期の
ディープインパクトや1歳下の
メイショウサムソンがターフを去っても、
トウカイトリックは走り続けた。それも一線級で活躍したから凄い。11年の
ステイヤーズSで3着に健闘し、1年9カ月ぶりに馬券圏内を確保。その後は苦戦が続いたが、11歳を目前にした12年の
ステイヤーズSで復活を果たす。道中は中団を追走。勝負所で差を詰めると、直線は内へ。同期の
ディープインパクトの産駒で、早めスパートから押し切りを図る
ファタモルガーナを1馬身1/4抑えてフィニッシュ。8番人気の低評価を覆し、2年9カ月ぶりとなる重賞3勝目を手にしたのだった。
その後も
トウカイトリックは現役を続けた。
ディープインパクトの産駒となる
トーセンラー、さらには
オルフェーヴルや
ゴールドシップとも戦い、14年2月に12歳で引退。実に63戦を戦い、重賞3勝を含む9勝を挙げた。同年4月、第二の馬生を歩むために過ごしていた京都競馬場内で骨折。安楽死となったのは残念だったが、その雄姿は多くのファンの記憶に残っている。