ジャパンCを日本調教馬が上位着順を独占するようになって久しい。それだけ日本競馬のレベルが上がったということであり、「世界に通用する馬作り」という創設当初の目標を思えば、実に喜ばしいことである。
ただ、かつてのように、あっと驚くような強い外国馬を見てみたいという気持ちも多少ある。強さを追求してきた日本のホースマンには申し訳ないのだが、「見たことのない馬の、見たことのない強さを見てみたい」という、プリミティブな欲求を満たしてほしいと思うこともある。今年はもしかしたら、そのチャンスかもしれない。
ジャパンCを外国馬が制したのは05年
アルカセットが最後だ。鞍上はランフランコ・デットーリ。千両役者が東京のターフで躍動した。
やや出遅れ気味のスタートだった
アルカセットだが18頭立ての13番手付近で流れに乗った。馬と一体化したかのようなデットーリ独特のフォーム。周囲に馬は多かったがスルスルとポジションを上げた。
直線を向く。馬群の中にいたはずが、魔法をかけたように前が空いた。名手の右ムチに応えて伸びる
アルカセット。そこからも魔法は続く。外からデザーモに操られた
ゼンノロブロイが迫る。勢いでは完全に
ゼンノロブロイだ。しかし、
アルカセットに並んだところで勢いが止まる。
内からはもの凄い勢いで
ハーツクライが来た。今度こそかわされる。誰もがそう思った時、
アルカセットの鼻がゴールに届いた。2分22秒1。当時のレコードタイムで
アルカセットが押し切った。
ジャパンCはレース後、記者会見場が設けられる。デットーリとルカ・クマーニ師が並んで座った。「14番枠を引いたっていうのにトレーナーは“内に入れろ”って言うんだ。ひどい話だろ。でもまあ、内には入れたけどね」。デットーリがそう言って笑うと、師もニヤリと笑った。
トークの息が合うのも当然だ。2人は30年以上の付き合いなのだ。師が言う。「
フランキーのことは、彼が母親のお腹の中にいる時から知っていたんだ」
デットーリの父、ジャンフランコは騎手。ルカ・クマーニ師の父、
セルジオ・クマーニ調教師と優先騎乗契約を結んでいた。ランフランコが7、8歳の頃、
セルジオ・クマーニ厩舎の馬の引き運動などを手伝ったという。「お腹の中にいた頃から知っている」は、本当にその通りだったのだ。
そして、まだ英語もろくに話せなかった14歳のデットーリが武者修行として英国ニューマーケットに向かった時に頼ったのがルカ・クマーニ師だった。そこからデットーリは世界最高の騎手へと階段を上っていった。
会見の最後、デットーリは「師匠であり、父であるトレーナーの馬で勝てたことは本当にうれしい」と話した。彼にとっての
ジャパンC3勝目は忘れられない勝利となった。
スポニチ