唯一無二の天才ジョッキーとして、あらゆる記憶を塗り替えてきた
武豊騎手が、勝つのに最も時間のかかったGIが
朝日杯フューチュリティステークス(2歳牡牝・GI・芝1600m)である。今から3年前、21年の
ドウデュースが実に22回目のチャレンジでの初制覇だった。ここでレジェンドの
朝日杯FSにおける歴史を振り返りたい。
初参戦はデビュー8年目の94年だった。
スキーキャプテンで大外から追い込んだが、
フジキセキにクビ差届かずの2着。翌95年は
エイシンガイモンで挑み、
バブルガムフェローから3/4馬身差の2着。ともに2番人気の外国産馬で参戦し、当時日の出の勢いだった
サンデーサイレンス産駒の1番人気馬に苦杯を喫する形だった。さらに98年は
エイシンキャメロンで2着、99年は
マチカネホクシンで3着。惜しいレースは何回もあったが、戴冠には届かなかった。
00年代に入ると、勝つことはおろか、馬券に絡むことも少なくなる。
武豊騎手にとって
朝日杯FSが鬼門と言われるようになったのは、ちょうどこの頃だ。いよいよ初制覇か!?という機運が
ピークに達したのは15年だった。単勝1.5倍の
エアスピネルで参戦。直線で一旦は先頭に立ったものの、
リオンディーズに差されて2着に敗れる。そして19年には
タイセイビジョンで5回目の2着。「朝日杯は豊の2着固定が正解」と物知り顔のファンがいたとかいないとか。
そしてついに21年、その時を迎えることとなる。デビューから2戦2勝の
ドウデュースで参戦。後にGIを制する
セリフォス、
ジオグリフから少し差のある3番人気に甘んじたが、レース運びは堂々たるものだった。中団で脚をためると、直線でエンジン全開。先に抜け出した
セリフォスをきっちりと捕らえ、パートナーを2歳王者に導くとともに、悲願の
朝日杯FS初制覇を果たしたのだった。
現在、
武豊騎手は
JRA・GI完全制覇に向けて、
ホープフルSを残すのみとしている。今年こそは空前絶後の大偉業が達成されることを期待したい。